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第1話【インレタのお話し】
車体標記のリアルな再現にインレタが多用される昨今ですが、これが苦手と仰る話を良く耳にします。業種や環境にもよりますが、デザインの現場では鉄道模型にインレタが導入される以前から、試作モデルのフィニッシュなどに使用されており、私もかつて勤めておりました職場ではインレタの作成から貼付けまでを日常的に行っておりました。
インレタにも仕様の差で若干の種類がありますが、「クロマティック」と称する一般的なタイプでは、半透明のポリエステル専用シートに専用の治具を用いて、先ず離型剤を敷き詰め乾かしたのち、調色した専用インク(これがインレタになります)を均一に敷き詰め、パウダー状のピンホール防止剤を塗布し、その上から感光液を敷き詰めインレタシートを作って置きます。
他方、文字や模様を焼き付けたネガフィルムを準備し、作って置いたインレタシートと重ね合わせて専用の照明ボックスで感光させ水洗いし余分な感光成分を洗い流します。その後溶剤でインク面を拭き取ると、感光した文字や模様などインレタとして必要な画像だけが残ります。最後に接着剤をシート一面に敷き詰めて出来上がりです。
文章では解り辛く恐縮ですが、インレタの出来の善し悪しはインクの均一な敷き詰め、ネガの精度、水洗いと溶剤による画像以外のシャープな除去、接着剤の均一な敷き詰めの各々の出来栄えに左右されます。
ご存知の通りインレタの貼付け方として「早めの使用、貼付ける対象の清掃、先の尖ったものは避けてシート表面を擦って転写して下さい」と、取説に書かれているのが一般的ですが、貼付ける対象の清掃には「ソルベックス」という通称でデザインの現場でも多用される、塗装面を痛めずに油分の除去に効果的な「福岡工業株式会社製ミツワペーパーセメントソルベント」の使用をお奨めします。模型の清掃全般に使い勝手が良く常備して置くと何かと便利です。画材店やネットショップで入手可能です。
貼付ける面を綺麗にしたらいよいよ貼付けですが、面倒でもシートから必要なインレタ部分だけを切出します。擦り易くするために余白は出来るだけ多く取ります。インレタは少し暖めて置くと付きが良くなりますので私の場合は電気スタンドの電球表面に3ミリ程近づけて暖めます。(40w白熱灯の場合は5〜10秒、7wLED電球の場合は20〜30秒)
切出したインレタシートを所定の位置に置く際は、擦ってもズレないようにマスキングテープの小片でしっかりと固定します。また安定的に擦るための必須アイテムとしてバーニッシャーの使用をお奨めします。画材店やネットショップで入手可能です。
インレタ転写の鍵は擦り方にあります。擦るという言葉のイメージから車体などの対象物に文字や画像を擦り付けようとしてしまい勝ちですが、擦り付ける=圧力がかかることで前述のインレタの製造行程からお解りの通り、インクが分厚く仕上がっていればインレタの潰れを誘発し、同じく行程からお解りの通り、文字や画像以外の面にも接着剤が存在するので不必要な接着剤まで擦りつけることになり、汚れやインレタの転写自体を妨げる要因となってしまいます。
インレタを転写する際はシート面に静電気を発生させるイメージでバーニッシャーを細かく往復させてみて下さい。「擦る」というよりも「(静電気により)剥がし落とす」イメージです。インレタの出来が余程悪くない限り、簡単に転写が完了します。少し古くなったインレタの場合は文字の角など切れそうな箇所に少しだけ力を加えて擦り付ける作業を追加してみて下さい。
インレタは生モノと例えられながらも一度に使い切れないものですから、保存について万人の悩みどころかと思います。私の場合はファイルノートに収納し圧力がかからないよう本棚に立てて収納しています。先日10年以上前に購入したTOMIXのインレタを車番変更のため再使用してみたところ、問題無く転写に成功しました。逆に新しい製品でも付きが芳しくない場合もあり、丁寧に行程を踏んで作成されたインレタであるほど長持ちする傾向にあるようです。
インレタの出来や経年の程度を外観から判断する場合の事象は一応あるものの、一様に該当するとも言えないため記述致しませんが、安心して使えるインレタといえば、私もお世話になっている「くろま屋」さんのインレタです。元々インレタのエキスパートでいらっしゃいますから製品の仕上がりにデザイン業界の外注先と同レベルかそれ以上のクオリティーが見て取れて、使用する度に感心させられます。
(因にくろま屋さんのインレタは接着剤がドキュメント以外の余白部分に残らない有り難い仕様ですので安心してお使い頂けるかと思います)
インレタを貼り終えた後、保護の為にクリア塗装を施すケースもありますが、インレタは経年とともに強固に固着する特性も有しておりますので、丁寧に扱われる環境下であればクリア塗装を省略するのも良いかと思います。
(2012.02.20wrote) |
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第2話【原体験】
鉄道愛好家のみなさんそれぞれの嗜好は、原体験による影響少なからずや、と常々思うところでありますが、私の場合2歳までを福岡市の繁華街、天神近くの路面電車が行き交う渡辺通一丁目で過ごし、その後は北九州の黒崎、八幡と転居し小学入学から高校までを熊本市で過ごしました。
振り返ると誠にバラエティーに富んだ鉄路に親しむ環境に恵まれ、さらに父親は鹿児島、母親は神戸の出身でしたから、里帰りと称する長距離列車の旅も何度となく満喫し、幼い頃から断片的ではありましたが、憧れの鉄道王国関西の省線電車(亡母は「阪急」「阪神」に対して国電を「省線乗ろか?」と言い分ける世代でした)や私鉄に乗る機会にも恵まれ、鉄道の技術革新旺盛な時代とも重なり、今の若いファンが次々と現れる新幹線に魅了されるように、少年の心を夢中にさせる佳き時代を過ごさせて頂いたと思います。今日考えるに、鉄道と触れ合うことで想像力や思考力、感性が育まれその後の人生を歩む糧となったとも言えそうな気がしています。
2歳から5歳手前までを過ごした黒崎時代、当時の事は殆ど何も覚えていないのに何故か留置線に待機する沢山の機関車達の映像だけが今でも鮮明に脳裏に焼き付いています。亡母の話によると汽車を見せたらご機嫌だったのでと良く黒崎駅へ散歩に連れ出て居たそうなので、その映像の地は黒崎駅周辺に違い無かろうと知恵が付いた後年調べてみると、記憶の中の機関車達のそれぞれに特徴的なシルエットが、8620形であり、9600形であり、D50・60形であり、C51形であり、D51形半流であり等々と、1959年当時の在籍車に符号して居りました。
個人的に、機能から醸し出される様式の美しさのようなものに惹かれる傾向にあり、それは仕事にも影響しました。その志向は、未だ脳裏から離れない黒崎駅の躍動感と静寂が混在する印象的な原風景によって決定付けられたものなのかも知れません。平たく申せばリストラを契機にデザイナーという職業に見切りをつけ、模型ではありますが奇しくも鉄道に係わることとなったのも天職たらしめるための必然なのかも知れません。
(2012.02.21wrote)
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第3話【室内灯今昔、鉄道模型趣味と製品化】
みなさまご存知の通り、発光ダイオードの実用化は省電力、低発熱、タマ切れトラブルからの解放と鉄道模型に於いても良い事尽くめでした。実用価格に至り性能も十分で仕様も多様化した今日、誠に扱い易いデバイスに成長を遂げ、特に白色LEDの普及は室内灯といえばマメ電球に頼るしかなかった過去から永遠の課題だった蛍光灯照明再現の夢が現実のものとなり、導光の工夫など室内照明の質そのものの改善も進みましたから、LEDの浸透と相まって窓越しの室内の見通しは以前より遥かにクリアに変化しました。私が趣味人として室内インテリアの充実に傾倒したのも、照明デバイスの質的向上が背景にあったためと言えなく無さそうです。長年楽しんでいたインテリアパネル方式によるインテリア構築を製品化するにあたり、このようにインテリアと関係深い照明デバイスも同梱すべきではなかろうかと色々と試行してみたものの問題解決に至らず、止むなく断念した次第です。
KATO16番20系PCを増備する際、まだ純正白色照明ユニットの無い時代でしたので、白色LED化がやりたくて既存の電球仕様の照明セットを極力使ってLED化しようと、左図に示す寸法に0.5ミリ厚の透明樹脂板を切出してφ2程度に開けた穴にLEDの足を通して裏側で折り曲げてLEDを固定しながら配線し、導光板の間に貼付けてしまうやり方で、電球ユニットのスペースに収まって導光板も集電コレクタもそのまま使える自作ユニットを作成してみると、見た目はお粗末ながらも結果は良好でしたので、その後の12系PC、82系DC、165系ECも同方式の白色LED仕様と致しました。(左図はクリックすると拡大表示されます。なお20系PCのみ集電コレクタを保持する22×3.5の板は使わず天井に直接コレクタを貼付けました)
因にLEDは3.6V20mA照度2700cdの日亜科学製ものもを、CRDは15mAの石塚電子E-153、ブリッジダイオードは東芝セミコンダクタ製のものを使いましたが、今回記事にするにあたり改めて品番を検索したところCRD以外絶版となっておりました。電子部品の専門家ではございませんし鉄道模型業界にも素晴らしい電子デバイスを提供されるメーカー様が数多くご活躍されて居られますし、照明関係については当面の研究課題となりそうです。(2012.02.23wrote)
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第4話【インテリアパネルキット、鉄道模型趣味と製品化その2】
ようやくシート付き仕様を追加した弊社インテリアパネルキットのナロ10、オロ11ですが、開発のベースとした個人で楽しむために制作した一品モノから製品へと仕立てる際に、ボディー側の寸法のバラツキを許容するパネル寸法への見直しと、キットとしての組立の標準化を確立するのに最も腐心致しました。弊社の製品開発コンセプトのひとつとして、塗料や接着剤を使うことなく(家族のひんしゅくを誘発しないで)出来るだけ手間をかけず(時間を取られず)に目に見える効果が得られる製品であることが挙げられます。より手軽に組立てて頂けますよう簡便なキットに仕立てましたインテリアパネルキットで、インテリア装備が当たり前のインジェクションモデルと隣り合う編成にも違和感なく馴染む客車へと手軽なドレスアップを是非お楽しみ下さい。
鉄道模型を取り巻く環境は今や、ゲージは多彩となり、Nゲージに至っては豊富なプロトタイプの完成品やキットが揃い、一昔前はマニアの腕の見せ所であったスーパーディティールのブラスモデルでさえ、懐が許せば手に入る時代となりました。そうした環境の変化に伴って、足らないところを補ったり、気に入らない部分を自分なりに工夫して楽しむ、といった鉄道模型に元々付随していた楽しみ方のひとつが薄れつつあるような気が致します。またメーカー、ユーザーともに製品の完結性を求める余り(上手く表現出来ませんが)昔の緩い感じの鉄道模型らしさも過去ものとなりつつあるようで一抹の淋しさを覚えます。(注:完結性は完成度とは別意。完成度を求める事は大変素晴らしい姿勢と認識致します)
キット開発のベースとなったナロ10、オロ11には、実は製品では省略した客室妻板部に起こした状態の折り畳みテーブル、洗面所にイラストによる陰影描法で表現した板モノの洗面台、専務車掌室には車掌テーブルと枕木方向の椅子とは別にレール方向にも椅子をそれぞれ装備しておりました。キット化にあたり組立て方法を検討する中で、工程の簡略化を優先しコスト面の制約(主に人件費に相当します)とも絡んでそれらは省略に至りましたが、実のところ実車の網棚や網棚に交差し整然と並ぶスポットライトの表現も欲しくなります。腕に覚えのあるお客様に於かれましてはインテリアパネルキットをカスタマイズの素材としても存分にお使い頂けたらと思う次第です。
左の画像は2007年に作成したフジモデルのボディにインテリアパネル方式でインテリアを組込んだスロ54です。スロ54への乗車経験は残念乍らございませんが、窓越しに見え隠れする蛍光灯を用いた座席灯が印象深く、模型では左右の客室幕板面にTOMIX製Nゲージ用白色室内灯を2本ずつ並べて実車の座席灯の位置に穴を開けたイラストシートを遮光シートとともに貼付けて表現してみました。こちらもいつか製品化してみたいところですが、座席灯同梱が前提となりますので当分先のことになりそうです。(ホルダのみ同梱・光源は別途要調達の予定です)
インテリアパネルキットの次期製品は只今お問い合わせを最も多く頂いて一部ご予約も承っておりますオシ17となります。今夏までに発売を予定致しております。オシ17に続いてはオシ16を発売致しますがこちらの発売時期は未定です。
(2012.02.24wrote)
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第5話【実車体験】
最近でこそ鉄道会社のイベントなどで実車の運転体験が出来るようになりましたが、乗り物を対象とした趣味のなかで、実物を所有したり操ったりすることの出来ない唯一の趣味が鉄道ですから、鉄道模型趣味には模型の世界で車両を制作し、路線を計画して軌道を敷設し、編成を組んで保守を伴いながら安全に運行することで(関連にお勤めの方は別として)鉄道好きの叶わぬ夢である鉄道とお近づきになりたい欲求を満たしたり、模型というリアルな立体で既に消滅してしまった大好きな車両の想い出を手元に残して慈しんだりするといった特有の楽しみ方が必然的に備わります。
ですから製品の創り込みには個々に実車の印象を如何に表すかがポイントとなる訳ですが、印象を決定付ける感性は個人個人の実車体験によって当然異なって参ります。異なって当たり前な以上、制作者は自己体験に基軸を設けるしかなく、壁の色調ひとつとってみてもマンセル→CMYK変換数値にすら頼れない悩ましさが付いてまわります
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インテリアパネルキットを発売中のナロ10、オロ11ですが、ナロ10の乗車経験はなく、オロ11には一度だけ、ヨン・サン・トオ以降の1969年春に、博多から熊本までの間を門司港発西鹿児島行き101レ急行「かいもん2号」での乗車経験がございます。モノクラス制導入前夜の当時はまだ1等車で、日付を越える深夜の到着なのでと親が奮発してくれたのだと思いますが、やっとオロ11に乗れると興奮したことを覚えております。熊本まで既に電化区間でしたからED72牽引の「かいもん」は可成りの快速ぶりで、1等自由席券で乗車しましたので中妻に近い3列目の空いてる席にヨーイングを覚悟しながら収まると、終始予想だにしない派手なピッチンクに見舞われてしまい、1等車らしからぬ乗り心地に落胆したことを良く覚えています。鹿児島本線熊本以北はC59撤退以後、急速に線路状態が衰えて行く印象を抱いておりましたのでその背なのかと思っておりましたが、近年の鉄道誌で、軽量客車とTR50のバネ定数設定が上手く行ってなかったという史実を知り今更ながらに納得した次第です。
車内は深夜ということで既に減光されたなか、頭上に並ぶ座席灯の半球状のレンズを通して放たれる明かりは周囲に拡散しないようコントロールされ、SG暖房特有のふわりとした心地よさと相まって劇場のような独特の雰囲気を醸していました。えんじ色のリクライニングシートはテーブルを肘掛けに差し込むタイプで、背ずり枕部をすっぽりと覆うシートカバーとともに合理化前の一時代を彷彿とさせる佇まいでした。窓際席足元の暖房放熱カバーは客車インテリアのシンボルでもあり、足元は確実に狭まるのにパンチング加工された外観は、当時でも何故だかホッと心和む設えでありました。イラストながら、インテリアパネルでも是非表現したいポイントとなりました。当時はまだ側窓ガラスと巻き上げカーテンとの間に蒸機時代の名残りの網戸が備わって居りました。今日網戸を表現する製品・パーツを見かけないのは時代による記憶の風化が進んだためなのかも知れません。
(2012.02.25wrote)
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第6話【実車体験 その2】
人生初の長距離列車乗車体験は1958年のことで、博多から三ノ宮までの特急「かもめ」のナハ11でありました。1歳児でしたから当然全く記憶にないのですが、誠に惜しい事に後年廃棄されてしまった8ミリムービーフィルムに「かもめ」のトレインマークを掲げて颯爽と博多駅に入線するC59の勇姿と新製間もないナハ11のボックスシートに母親に抱かれて収まる赤ん坊の私の映像が記録されておりました。
当時父親の月給が7,000円の時代ですから、何故撮れたのか今もって謎のままですが、あと1年早ければナハ11がスハ44だった訳で、さらにマシ49の車内映像が加われば文句無しのお宝映像でしたが、赤ん坊連れの3等客に食堂車の敷居は流石に高過ぎたようです。
他に瀬戸内の白砂青松、宮島口あたりからの厳島神社の遠景などが映っていましたが暗くなってから到着する神戸の映像は撮影困難だったようで記録されていませんでした。父親だけ先に戻り帰路は飛行機だったようでフィルムの最後に板付空港に到着した4発のプロペラ機から降りて来る母親と私の姿が記録されておりました。9時間16分の汽車旅をご機嫌で満喫した私の帰路の1時間余の空旅は泣き喚きっ放しで往生したそうです。
以降の記憶に残る10系ナハは、1971年に西鹿児島から熊本まで乗車した急行「桜島」の(恐らくは)ナハ10です。軽量客車の宿命で外装は既に痛みが目立ち始めた頃でしたが内装はまだまだ綺麗でした。
薄緑色の内装はナハ10登場時に選定された緑色の座席表皮とコーディネートされたはずの色調で、標準化された青色表皮とはやはり残念な違和感を伴いつつも致し方なく、改めて車内を見渡すと、電車では望めないゆとりある天井高による空間の広がりと欧州スタイルの大きな一枚窓は、冷房はなくとも居心地の良い開放感を与えてくれていました。東京を目指してまる1日以上かけてゆったりと北上する「桜島」のナハ10の乗り心地は前述のオロ11の印象とは異なり、緩やかなヨーイングを伴うものの意外なほど穏やかなものでした。
プラットホームに佇む10系ナハはやはり大きな窓から覗く青いボックスシートが印象的です。恐らくはみなさん様々に工夫しておられるでしょう座席表皮の表現をこの度発売となります座席表皮はマット紙に印刷したものを表皮として貼付けることで座席らしい風合いを出すことを目的とした製品と致しました。切出すひと手間はかかりますが接着剤にデザインの現場でも用いられる特殊な強粘性粘着シートを採用しておりますので他のシールとはひと味違う切出し易さを実感して頂けるかと思います。詳しい説明書も同封しておりますので是非一度お試し下さい。
「桜島」では これが最後のチャンスかと少し早めの夕食をオシ17で頂くことにしました。オシ16とともに私の大好きな車両ですがこの時既に登場から15年が経過しており、地方路線上の閑散とした営業時間帯では尚更の場末感は否めませんでしたが、真っ白なテーブルカバーの上には良く磨かれて清潔感のあるシルバーの調味料入れと灰皿が並んで窓際のカーネーションの一輪挿しも健在でしたので、接客現場のどっこい変わらぬ心意気を感じ取れる空間でした。鉄道車両では珍しい枕木方向に並ぶ灯具の中央にアネモスタット型の空調吹出し口がゆったりと配置された天井の独特の意匠は、当時でも古さを感じさせず居心地を良くする秀逸なものでした。乗車から1年後、急行「きたぐに」のオシ172018から出火した不幸な北陸トンネル火災事故で「石炭レンジを使った戦前生まれの車両が火元」と(ご周知の通り戦前生まれは台枠部分だけなのに)マスコミに酷評され、後に原因は電暖配線からのショートと判明したものの、オシ17は一掃に追い込まれ文字通り最後の乗車となってしまいました。
一部の例外を除いて味には多くを望めなかった食堂車でしたが、車窓に目をやりながら食事を楽しむという非日常の異空間で過ごすひとときは、鉄ちゃんにあらずとも旅の醍醐味のひとつだったと言えましょう。戦後に最盛期を迎えた食堂車営業と重なる世代を生きて来られたことに感謝です。世の中が豊かに便利になるにつれ衰退した食堂車営業ですが、これだけ飲食業態が多様化した今日、工夫次第で新たな姿での復活のチャンスはいくらでもころがっているのにと残念でなりません。
(2012.02.26wrote) |
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第7話【ラストラン】
ヨン・サン・トオで特急格上げされて以来、文字通り日本海縦貫道を駆け抜けた特急「日本海」の今日はいよいよのラストランです。
ここのところ大阪駅11番ホームは17:30になると黒山の人集りになっているそうで、昨日の関西ローカルニュースでもカメラを携えた大勢のファンの様子が放映されていました。その中でインタビュアーの「何故撮りに来たの?」の問いかけに「国鉄の匂いがして格好がいいから」と答える小学校高学年か或は中学生と思われるファンが居て、24系に対する若いファンの興味深い捉え方に驚かされました。
どんな車両であっても2本のレールの上を車輪の付いた箱が走ればそれだけで心躍るのが鉄道好きの習性ではありますが、私が特に心躍らされた鉄道車両達を振り返ると、あの星晃さんがご活躍された時代に誕生した車両にこれでもかと合致します。
ご自身を「ファンの気持ちが分かるプロフェッショナル」と称されながら、戦後の国鉄近代化の最中に次々と革新的な旅客車を輩出された大先輩星さんは正しく名プロデューサーであったと痛感します。
私の寝台列車での一番の楽しみは、カーテンで仕切られることによって生まれるクリアな車窓風景を眺めることにありました。
夜行列車でも座席車だと窓ガラスに室内照明が反射して窓の外は良く見えません。遠景近景が時間差で光の帯となって刻々と変化する寝台列車のクリアな車窓風景は実にファンタジックで飽きることなくいつまでも眺めて居られます。同じ夜行でもクルマやバスではヘッドライトが折角の夜景に水を差し文字通り白けます。
サラリーマン時代の東京出張ではこの寝台列車特有の魅力溢れる夜景見たさに度々自腹を切って帰路を285系「サンライズ瀬戸・出雲」にするのが密かな楽しみでありました。みなさんご存知の通り285系は近年目覚ましい発展を遂げたパワーエレクトロニクスを巧みに活用して個室中心の編成とし、内装には住宅メーカーの木質樹脂を多用するなど583系以来となる電車寝台の意欲作ですがその後の進展が見られないのが誠に残念なところです。
285系並のアコモデーションを20系PCに替わる新世代寝台14系PC特急運行開始時の1972年に確立して居れば、寝台列車の商品価値は幾らか好転に向かったのではなかろうかと思います。
20系PC登場時は喫茶店にも冷房の無い時代でした。寝台幅こそ52cmであろうが空気バネによる滑らかな乗り心地と固定窓を始めとする徹底的な防音対策が施された冷暖房完備の静かで快適な移動空間は他の乗り物を圧倒していました。私が最初に20系を体験したヨン・サン・トオ直後の「あかつき」の熊本ー新大阪間でも快適な移動手段であることに変わりありませんでした。
革新的だった20系PCの後継がいよいよ誕生すると期待した14系PCは、寝台幅は583系中上段並みに拡大されたものの既存のシステムを下敷きに省力化に傾けただけの合理的設計思想があちらこちらに目について、寝台幅拡大による昼行時の座り心地の悪化や、電源分散方式に踏み切ったスハネフ床下DG直上の会話も聞こえない程のあり得ない騒音への明らかな無策ぶりに見事に落胆させられました。
最早20系PCが有していた生活水準に対するアドバンテージは望むべくもなく、この時点で個室化をスタンダードに据えて於けば、パーソナル空間そのものであるマイカーでの拡大する長距離移動にも対抗出来たであろうにと残念に思います。
どのようなプロダクトにも巧みなバランスと卓越したセンスを持つまとめ役が必要であることを奇しくも14系は物語っており改めて星さんの偉業を感じざるを得ません。ついでに申せば意表をついて?青20号に白帯2本の12系急行客車然とした出で立ちで登場した14系特急PCは、同時期に登場した波動対応で片側2扉となった183系特急ECとともに、星さんの時代にそれは戦略的意識的に確立されたものなのかは別として、様式として確かに存在していたとでも言いましようか、趣味的勝手気侭な趣向なのかも知れない、特急らしさ、急行らしさという国鉄時代の佇まいが崩壊して行く先駆けとなった車両のように思えます。
14系は北陸トンネル火災事故の教訓から再び20系同様に電源集中方式の24系へと移行し、2段ハネ化の24系25形、14系15形と仲間を増やしその後系列の2段ハネ改造とともに様々な個室化改造を経て今日に至りますが、24系「日本海」もEF81の先頭を飾るトレインマークも見納めです。
思えばブルートレインの先頭に立つ機関車に掲げられたトレインマークはどれも美しく大人の鑑賞に耐えるデザインでした。
元の職場にはDD54に掲げられた「出雲」のトレインマークの格好良さに感動しグラフィックデザイナーを志したという仲間が居ました。鉄道に係わる現役デザイナーのみなさんには志の高い正しいデザイン活動で鉄道の未来を切り拓いて欲しいものです。
24系「日本海」とともに、300系「のぞみ」と100系新幹線とも今日でお別れです。100系も300系もそれぞれに思い出深い車両です。殊に300系は作り手の思い入れが随所に見て取れ大きな進化を遂げた新幹線電車と言えます。
消耗の激しい新幹線車両の新旧交代は致し方ないとしても、時既に遅しなのか、衰退の一途を辿る寝台列車に、しかし確かに存在する他の移動手段では得難い魅力を、万人が認める商品価値に昇華することによる復権の知恵は果たして?と妄想しつつお疲れさま「日本海」の結びと致します。
冒頭の画像は10年前に作成したKATO16番ナロネ20の寝台設置状態のインテリアです。下段寝台には枕や折り畳んだ掛け布団、「エ」柄の浴衣、鏡を設置し、印刷で読書灯、貴重品ネットを表現し上段寝台と寝台カーテンを装着しています。20系ハネカーテンのみでは片手落ちですので調整の上、製品化を目指します。他、オロネ10用や583系用座席表皮などの新製品も計画中です。
(2012.03.16wrote) |
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第8話【鉄道模型のお商売】
冒頭ページでお知らせ致しました通り、株式会社ネコ・パブリッシング様のご厚意により弊社製品が鉄道模型専門誌RM MODELS 201(2012-5)号に掲載されて以来、お陰様で思いがけない反響とともに多くのご注文を頂戴し、元々十分な在庫を確保して居らなかった事情もあって早々に順次お作りしてお届けする事態に陥ってしまい、駆け出しのメーカーに暖かくご注文下さいました大切なお客様に対してお待ち頂く失態をやらかしてしまいました。ようやく落ち着いて参りましたので本日は、実店舗を擁しないネットショップの得体の知れなさを僅かでも解消出来ればとの想いで(元来目立ちたがり屋では無いので散々迷いつつも)やはり顔が見えるお店がよろしかろうと不躾ながらポートフォリオも掲載させて頂いて開設したコラムを久々に更新致します。今後も在庫の確保に新製品の開発と課題は山積しており遠ざかって久しい趣味の鉄道模型弄りも当面おあずけの状態が続きそうです。
製品をお届けしたお客様よりお陰様で勿体なくも多くのご厚情を賜りました。実際に製品がお客様おひとりおひとりのお役に立てるかの真価は正にこれからと心得ます。弊社の製品はどれもありふれた素材・工法によるクラフト品ですがそれらは長年の自身のノウハウを下敷きにして鉄道模型を楽しむための好ましい手段を念頭に積極的に選択した結果によるものですので(起業の意図にも立ち戻りますが)お客様の鉄道模型ライフの一助になればなによりと思うところです。
(2012.04.19wrote) |
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第9話【室内灯設置のおはなし】
弊社製品インテリアパネルキットをお買い上げ下さいましたお客様から、室内灯設置に関するご相談を頂きました。コラム第4話でも少しお話しました通り、室内灯を点けてこそ見映えするインテリアですので製品への同梱を検討したものの断念した経緯がございます。製品紹介にも掲載しております通り、インテリアパネルと天井とのクリアランスをクリアするサイズであればどのようなパーツでもお好みでお使い頂けますが、折角の機会ですしあくまでご参考程度ですが個人的にこれまで多用して参りました取付方法をご紹介します。
ナロ10、オロ11のような蛍光灯照明車には、少々値は張りますが一塊で扱い易いためTOMIXの白色LED室内照明ユニットを多用します。経験上も先ず不具合を起こすことが無いので乱暴なやり方ですが、天井Rを吸収する効果を買って厚手のブチルゴムを素材とした両面テープで天井に固定してしまいます。(ブチルゴム両面テープは貼付ける前に天井のベンチレーター或はユニットクーラー部品の足の突起箇所に相当する位置には予め穴を開けて置きます)2本使用する室内照明ユニットは天井付近の配線が出来るだけ目立たないように端子の付いた側が隣り合うように背中合わせに配置して、スプリングを撤去した上で左・右どうしの端子をリード線で繋ぎそれぞれのリード線を相反する車端へ向けて1本ずつ延ばして置きます。それぞれの車端にはトイレがありますのでこの空間で配線処理を行います。このままここを通して床上の台車センターピンに結線するのが一般的な手法ですが、そのためにリード線に余裕を持たせるのがどうも性に合わず、またインテリアの仕切りに悪影響を及ぼす恐れもあるため、室内照明ユニットから撤去したスプリングを再利用して、トイレ内に収まるスプリング式の接点ユニットを拵えます。床板上には導電性テープでスプリングを受ける接点を設置し導電性テープの延長で台車センターピンと結線します。こうして置けば床板を装着すると結線状態となりリード線に気を使う事無く気軽に床板の着脱も行えます。
これまでこの工法で不具合を起こしたことはなく確実に通電されますが、多分近年のことかと本当に稀なケースなのですが、台車センターピンに通電不良の傾向があり勿論断言は出来ませんが黒染めが影響しているように感じております。そのため念のために台車側のビス頭の裏側、台車センターピンスプリングが接する面にヤスリをかけ地肌を露出させる作業を励行しております。図解(pdfファイル)を格納しております。お役に立てますかどうか、ダウンロードも可能ですのでどうぞご参照下さい。
(2012.05.02wrote) |
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第10話【模型屋さん】
弊社製品はハンドクラフトによる生産体制を取らせて頂いております関係上、一時の量産が効かないこともあって流通ルートへの供給が困難で、全国の模型屋さんで気軽にご覧頂ける環境にございません。そのような状況下、この度サイト冒頭でお知らせ致しました通り多大なるご厚情ご協力に寄りまして「六甲模型教材社」様にて弊社製品をお買い求め頂けるようになりました。お近くにお住まいの方は勿論のことお店にお立寄の際には是非ご利用頂けましたらと思う次第です。
振り返れば六甲模型様を最初に訪れたのは今を去る事43年前で、当時住んでおりました九州は熊本市の中学校の同級生がたまたま私と同じくお母上が神戸出身だったため、彼も夏休みを利用して神戸に来て居り、六甲が実家の彼の案内で訪れたのが最初のことでした。お店の中は九州では手に入らない部品の数々が鎮座する正にパラダイスでありました。
因に彼曰く鉄道模型趣味に引き摺り込まれたのは私のせいとのことで高校を卒業するまでお互いの家を行き来しながら協同で、組立式のレイアイトを、ベニア板にシノハラのコルク道床&レールの組み合わせでホーム分岐付きの複線軌道を敷いただけの簡素なものでしたが一応完成させて大学受験に突入します。Nゲージが台頭し始めた頃でしたがよく16番に踏みとどまったものと今にして思います。
現在神戸市民の彼とは縁あって今でも付き合いがありますが、中学、高校当時はコンビを組んで京阪神地区の模型屋さんをあちらこちらと随分と巡りました。今はもう無くなってしまっているようですが阪急千里線豊津駅近くにあった「豊津模型」さんにロコモデルの客車を物色しに行った際、お店の方に「運転会をするからおいで」と誘われ再度お邪魔をすると、段ボール箱に裸のまま詰め込まれた5両の天賞堂EF58を無造作に取り出すお客さんの行動に目が釘付けとなり、後々まで「大人になればあれが出来る」と憧れの光景として目に焼き付いてしまいました。果たして当時2万円弱だった天賞堂EF58の価格は私が社会人になる頃には10倍以上に跳ね上がり文字通りの憧れの逸品と相成りました。
模型屋さんは製品とお客様を繋ぐ架け橋でありその専門知識は趣味人にとってなにより頼りにするところで、弊社のようなネット販売店では得難い安らぎを得られる心地よい居場所と言えましょう。出来ることならば実店舗でお客様とお話をさせて頂きたいところですがそれは夢のまた夢のお話で。
(2012.05.12wrote) |
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