第23話【阪急電車の憂鬱】
当初の予定から大幅にお待たせを致します次期新製品インテリアパネルキットオシ17開発の進捗状況は、未だに素材の見直しや調達などの課題に追われ、なかなか発売日をお知らせするに至らず、誠に申し訳ございません。事業者として誠にお恥ずかしい限りですが、あと暫くのお時間を頂戴致しますこと、何卒ご容赦下さいますようお願い申し上げます。
月1更新と決めていたはずのコラムも2ヶ月以上手付かずのままでは流石に偲び無く、久々ではございますが、本日は、最近気になって仕方の無い話題について、お話しを致します。
それは私が、星晃さんの時代の国鉄車両と並んで愛して止まない、阪急電車の話題なのですが、本題に入る前に、阪急を題材にする際に常々迷う型式呼称を「形」とするのか、「系」とするのかについて、1964年に改定された国鉄の車両称号基準規定にて、グループの総称に「系」を用いることが開始されたことに倣い、阪急(当時の京阪神急行電鉄)でも、それまでの「形」呼称から、その系列の制御電動車(存在しない場合は想定の制御電動車車番)のうち最も若い車番を用いて○○○○系と総称することに変更されています。
従って随分と以前から、鉄道誌などの文献もファンの間の日常会話に於いても、系と呼称するのが一般的なのでありますが、実は亡父の従弟が阪急マンで、鉄ちゃんとしても大先輩のその方は、3000系や5000系はおろか、比較的近年の車両である2200系や6300系までも「形」と、普通に呼称して居られたので、現場での通称は長らく後も慣れ親しんだ形呼称だったのだろうと、本来的には全般に用いられるべき「系」呼称について、今ひとつ割り切れない気持ちを抱いております。従って本稿では、規定が切り替えられた後に誕生した3000系より以前の型式については、「形」と呼称することに致しますことを、予めお断り申し上げます。
前置きが長くなりましたが、2003年に京都線用9300系、2006年に神宝線用9000系と、新世代の日立製阪急車両が登場して以来、阪急ファンとしては今後の動行が気になっておりましたが、いよいよ今秋に、どうやら今後の阪急電車の標準的な車両となりそうな気配の新車が登場する模様なのですが、公開された阪急のプレスリリースなどを拝読したあくまで現段階で考察可能な範疇での印象ではありますが、個人的に阪急の「美徳」と讃えたい、創業以来連綿と揺るぎなく継承された、極めて骨太な設計思想が醸し出す「阪急電車らしさ」がいよいよ失われつつあることに、強い危機感を覚えます。
懐かしの西宮北口平面クロスを跨いで、今津へ向かう宝塚線920・950形4連
幅広貫通も懐かしい975車内
最も象徴的な阪急スタイルと形容したい「様式」が確立されたのは、900形(920形、950形)からと申して良かろうかと思う訳ですが、その様式を劇的にモダナイズして1960年に登場した2000形から、1972年登場の5300系に至るまで、殆ど変えることなく続けられた車体の基本デザインについて、当時の阪急の技術者の「今後、大きくモデルチェンジをするとしたら、それは窓を変える時」という記述を何かの文献で目にした記憶があります。
550形など戦後の資材不足のおりに規格仕様とせざるを得なかった時代に例外はありながらも、創業当時から下降式フリーストップの一枚窓を、ついこの間まで殆どの鉄道会社が嫌い敬遠した、腐食というそのデメリットに抗いつつ、着席のご婦人の髪を乱すことなく立ち席客への涼風を確保する最適な方式であるメリットを優先し、連綿と受け継がれた事が示すように、阪急電車の客室窓への拘りぶりは実に潔く、お見事と申さざるを得ません。その技術者の言葉はいかにも阪急マンらしく、「阪急電車にご乗車のどのお客様にも同様に快適に」という小林一三御大の思想の確かな継承が伺い知れ、頼もしく感じました。
ご周知の通り、創業から苦難の連続であった黎明期をなんとか凌ぎ、念願の神戸線を開通させた頃の小林一三御大自らが発案し、新聞広告に掲載したという、今で言うキャッチコピーが「綺麗で早うて、ガラアキ、眺めの素敵に良い涼しい電車」でした。
記憶違いであればご容赦願いたいのですが、軌道法に於いては、乗客の窓からの道路への転落防止のために、窓開口部に対して、床面から一定の高さに保護棒を設置する法規が存在したはずで、下降窓を、法規をクリアする高さより下方に下がらない設計とすれば、視界の妨げとなる無粋な保護棒も不要となる訳で、費用も浮きますし、視界の広がる一枚窓に拘ったのは、誰よりも小林一三御大であったのかも知れません。
もう20年程前になりますが、当時勤務しておりました事業部で、シニアカー(主にお年寄りの移動手段として提供される、運転免許不要の3輪又は4輪のバッテリー駆動1人乗り電動コミューター)を開発することとなり、デザイン担当だった私は、座席のデザイン検討のために、エンジニアとともに、京都にある住江工業さんを訪問したことがあります。
住江工業さんといえば、鉄道車両の座席メーカーとしても名高いメーカーですので、訪問が決まった時は内心嬉しくてたまりませんでした。当日、工場を見学させて頂くと、構内のそこここに、制作中の、或は出来上がったばかりの、ありとあらゆる鉄道会社の座席が並んでおり、詳しくは申し上げられませんが、それぞれの工程も大変興味深く、大いに勉強させて頂きました。早速に阪急8000系用と思しきゴールデンオリーブ色に輝くロングシートを発見したので、案内をして下さっていた担当の方に「これ、純毛ですよね?」と問いかけると「良くご存知ですね!相当にお高いですよ」と回答を頂きました。鉄ちゃん冥利とでも申しましょうか、関係ない事なのに誇らしく思えた事が、懐かしく思い出されます。
アンゴラヤギのテレンプ地にウールで縞模様を折り込んだ8000系クロスシート(9300系に於いても保たれて欲しかったクオリティ)
9300系登場時には、まさかの決別か!と肝を冷やすも、その後の9000系での復活で安堵した、これも阪急の佳き伝統と褒め讃えたいシート表皮の純毛素材について、少し話しは飛びますが、京都線に6300系がデビューした頃、阪急の関係者から「京阪間に於いて、淀川を挟んで西と東という離れたルートを走るのにも係わらず、京阪の初代テレビカー1900形投入時も、対抗して阪急が2800形を投入した際も、さらに京阪新テレビカー3000系が投入された時も、京阪間に於ける輸送シェアはそれぞれに30%変化した、当時はそんな時代だった。」というお話を伺ったことがあり、家電メーカーに置換えて見れば、一気にシェア30%アップなど余程の事がない限りの夢物語で、当時の新車効果が如何に絶大なものであったかを伺い知ることが出来ます。
振り返ると恐らくは阪神大震災以降の変化かと思う、速達競争に於ける今日のJR一人勝ちの状況下で、特に阪急京都線特急の商品性が変化したことが、新鋭9300系のクロスシート表皮コストダウンへの決断を、後押ししたのであろうと想像する訳ですが、純毛素材にまつわる話として、昨年、阪急OBの山口益生さんが記された著書の中で、ある年の天候不順による牧草の不作が影響し、高騰した価格に頭を抱えた購買と車両担当者が協議の上、通常は毛足4.5ミリであるべきところを短くして対応したところ、何かの機会に上層部の方がシートの感触の違いに気がついて、平素は費用に厳しいというその方に「質を落として価格を抑えることは誰にでも出来ること」と一喝されたという、興味深いエピソードをご披露されて居られました。私にも似たような経験があり、先行開発の仕事をして居りました頃、開発モデルを前にして当時の社長に説明をしておりましたところ、ある部分がお気に召さず、つい言い訳がましく「費用が足らず」と口走ったのが運の付きで、「金が無いなら知恵を出せ!」と一喝され、場が凍り付いた思い出がございます。
私の失敗談は若干質が異なるので、さておく話ではありますが、企業活動が、何より一貫したポリシーに貫かれてこそ、阪急電車のその佳き伝統の継承も、今日まで成り立ったのであろうと、言い古された理論ながらも改めて道理を感じます。
私の大好きな2000形から始まった、四隅にコーナーRの付いたアルミサッシ窓についても、四隅にホコリが溜まらない、簡便に清掃が可能となることを意図した形状で、後年、窓上下寸が拡大された際に、それまで美しく収まっていた手前のブラインドとの高さ関係に乱れは生じたものの、そのコーナーRとした設えは、現場の負担を軽減し、乗客には常に小綺麗な車内を提供するという、誠に秀逸な設計と思う、絶対に変えて欲しくない美点でありましたのに、固定窓となった9300系からは、この愛すべき工夫はあっさりと捨てられて、窓隅にはいかにもホコリが溜まりそうな、ありふれた角が現れ、これまたありふれたシートの感触と相まって、なんとも残念な気持ちに包まれてしまいました。
話の流れとして、ここで前職のプロダクトデザインの話を少しだけして置きたいのですが、不思議な事に家電メーカー社内に於いても、他部署からは「単に色や形を扱うところ」程度の認識で見られることのあったデザイン部門ですが、デザインの本質は、人とモノとの良好な関係性を構築する仕事に収斂され、ファッションはおろか、どんなデザインに於いても、素材や工法の性質を理解した上で、ユーザーに対して、そのプロダクトの目的や機能を如何に喚起して、安全に、正しく、心地よく使ってもらえるよう、色や形、身体に触れる部分の感触などを整えるのが職能で、例えば、一見デザイナーや、決定権のある責任者の嗜好でかたち作られたかのように見える自動車のデザインでも、一部に嗜好の反映はあるにしても、全体としては、素材や工法の特性を踏まえた上で、機能や性能をクリアするために、しっかりと吟味された結果の意味を持った色や形や感触の集合体なのです。似たようにモノ作りをしていても、創造のメッセージを主体的に具現化するアーティストとは決定的に異なる部分がそこにあります。数値により明確に答えを出すことが出来るエンジニアと違い、デザイナーは職域の特性上、数値では量れない領域での判断に迫られますが、その先の、使い易さを追求するという点に於いては、特にやり甲斐のある仕事でした。
常日頃から、阪急電車の事となると、現場の事情も顧みず熱く語り過ぎてしまう傾向にあり、当事者の方々へのご無礼を、平にお許しを願いたいところでありますが、前職乍らも職業柄、些細な事柄がつい気になってしまうが故の、お気楽な外野席の戯言とお含み置き頂ければと思う次第です。
9000系が神戸線を走り始めた頃、私のところへ遊びに来た後輩デザイナーから「和田さん、今度の阪急の新車、えらいゴージャスになりましたね」と言われ、恐らくはこれがコンベンショナルな印象なのであろうことについて、考えさせられました。
確かにハード的には随分と静かになりましたし、車内放送の音質も心地の良いものへと改善されて居り、見た目と相まってゴージャスといったような形容へ導かれたものと思われます。しかしながら、間接照明の採用で、以前の、透き通るような質感が特徴的な、抜け感のある真白い天井から、くすんだツヤ消し仕上げとなった天井は、天井から連続して幕板までもを、同じテクスチャーとしたことと重なり、折角の天井高も活かされない、圧迫感が生じています。幕板まで天井と同材質とした造形は、結果的に木目デコラパネルの面積を狭める副作用を齎し、いくらパネルの定尺を拡大して隣り合う部材で押さえ込むことで、押え金具(アルミ形材)を追放した、と言われても、阪急らしいインテリアと申せる、木目のデコラパネルとゴールデンオリーブ色のシートとの、調和のバランスが崩れてしまえば意味がありません。日立の誇るA-train systemとの絡みもあるもでしょうが、果たしてどれほどのウエイトで木目を活かす課題についての検討がなされたのだろうかと疑問を抱かせる、木目で無くとも成り立つインテリアデザインであることに、つい頭を抱えてしまいます。
近年、車体更新の度に、妻面とドア部のみに濃い色調の木目を常用するようになった阪急電車ですが、その理由について、明るい木目のデコラパネルの退色対策と説く文献を目にしたことがありますが、それならば、濃い方に統一すれば、部品仕様も減ってコスト的にも有利となるはずですから、今ひとつ、しっくり来ません。設定の共通点が出入り口であることから、もしかすると緊急時の視認性向上の狙いも含まれているのかも知れませんが、この濃い木目の色調も、落ち着きがあって個人的には好むところです。
マホガニー材の濃い色の心材と、明るい色の辺材の対比よろしく、2000形以降の木目は明るい色調となり、阪急マルーンの暗い外板色を目にした直後に、(長年続いた赤茶色いリノリューム床色はさておき)明るい色調の車内に一歩足を踏み入れた際に生ずる、コントラストの対比により、視覚的に車内を広く見せる効果も生まれ、なかなかのカラーコーディネイトと感心致しますが、ここのところご執心の濃淡混在には、散らかりを覚え落ち着かず、感心致しません。
9000(9300)系も、最近のこのルール?に法り、大きな窓とドアとの間の僅かな戸袋壁面だけに、明るい色調の木目を残す結果となっていることについても、是非、考え直して欲しいと願う点です。
阪急電車の冷房化は、先行冷房試作車の5200系に始まりますが、比較的に通勤車両への冷房取付けが早かった関西地区では、例えば阪神電車では、既製のユニットクーラーを屋根一杯に賑やかに配置するなど、なかなかに圧倒されましたが、開口面積が広く乗車人員も極端に変動する通勤車両への冷房取付には、様々に未知の現場のご苦労があったものと拝察されます。
ご存知の通り5200系では、集中型と分散型の良いとこ取りをした集約分散方式を試み、屋根に8000キロカロリーのユニットクーラーを1両に4〜5基搭載し、天井内長手方向に伸びる冷風ダクトでそれらを繋いだ構造として、冷房の効率化・均一化を図ったものでしたが、「どのお客様にも快適に」の思想が、ここにも活かされたと推測するのは、思い込みなのかも知れませんが、私がなにより感心したのが、試用を元に開発された次の5100系から、左右の蛍光灯カバーの間に、わざわざ別体で一枚の天井面を作ることにより車両の長手方向一杯に生まれる、蛍光灯カバー両端の目立たない段差に、リターンダクトの吸い込み口を設けた点でした。因に、強制的な補助送風装置を採用しなかった阪急電車の冷房は、車内がひんやりとした冷気に包まれ、冷風が苦手な私にとっては極めて快適なものでしたが、通勤のお客様に「阪急の冷房は効かない!」と、随分と叱られたそうで、後にローリーファンの追加、スィープファン内蔵へと舵を切りますが、集約分散式という基本構造は、天井の凝った構造とともに長らく踏襲されました。
上手く隠されていたこのリターンダクトの吸い込み口についても、9000(9300)系では天井左右に一筋のスリットとして露出するところとなり、スリットを活用し、つり革の構造体を保持する役割を兼ねたところは評価出来るにしても、以前の構造の美点を受け継ぐ造形とはならなかったものかと、この点も残念でなりません。ついでに申しますと、つり革の色調も伝統のキャメルブラウンからライトグレーに変更されていますが、この点は嗜好の範囲とお断りした上で、なんとも味気無く、頼りない印象に映ります。
9000(9300)系の天井の造形についてはもう1点残念なところがあります。間接照明へのチャレンジは良いとして、ある時、梅田駅神戸線ホームを歩いていて気がついたことなのですが、何気なく、2面隣りの宝塚線ホームに停車していた9000系の窓越しの車内に目をやると、間接照明の裏面に隠れるべきはずの配線やら光源が、直接目視出来るのです。166cmと平均的にも高く無い私の身長で、隠すべき機器が目に入るという仕上げは問題です。
愛してやまない2000形が誕生した時代とは比較にならないほど、モノ作りの現場でプロダクトデザイナーが活動し、車両メーカーにも、鉄道会社にもデザイナーが存在する現代に於いてなら尚更のこと、窓のR仕舞いを諦めた顛末も然り、臓物が見えてしまうなどという不手際は、デザイナーがしっかりと問題点をチェックして、各担当と協議の上で改善しなければなりません。正にデザイナーの仕事であるのに、今一度、誰がやるのだという気概を持って、現場のデザイナーのみなさんには改めて頑張って欲しいものと、老婆心ながら、切に願うところです。
過去の2扉ロングシート車の時代に例外はあるものの、阪急電車の美点のもうひとつに、ロングシートの背ずりや座布団を途中で分割しない点が挙げられます。他社の車両に多く見られる2本構成のロングシートが中央付近で突き合わさるあたりでの着座は、お尻が安定せず居心地の悪いもので、これも「どのお客様にも快適に」の思想の賜物と想像するところですが、9000系ではドア間の1区画の間の2カ所に、新たに肘掛けを追加することで、3-2-3席に分割し、シート長を抑えることによるコストダウンが図られており、この点については、巧みなアイデアと合点が行きます。電車のロングシートの座面は、緊急時の担架や梯子の役割も担うので、有効長に対して、どのように対処されたかについても、機会があれば勉強してみたいところです。
さて、随分長々と述べて参りましたが、そろそろ本題の今秋登場予定の新車、神宝線用1000系、京都線用1300系について、1984年の車両番号付与基準制定の通り、車番は4桁表記の規定に従い、いよいよ阪急の型式も、9000番代を使い切ったその先の1000番代に先祖帰り?することになる訳で、本型式の増備により、2300形、3000系、3100系,5000系、5100系の淘汰が始まるそうなので(堺筋乗入対応車3300系、5300系の動行が気になりますが)、この先の不都合は無さそうですが、私達の世代なら、今津線の古豪600形や、大出力モーターで豪快なツリカケ音を轟かせまだ本線上で頑張っていた920形や、京都線のP6、(阪急の方が先輩ですが)新幹線0系を連想する二重構造のモニター屋根がスマートな、クラッシックモダンな佇まいの1010形、1100形、1300形、余剰部品を利用して車体のみを新造した不思議な出立ちの1200形、1600形などが、2000形以降のモダンな電車と交差して快走した時代が、実は、最も印象深く心に刻まれた阪急電車の原風景なのかもと、再びの1000という型式を前にして、そう昔の事では無かったはずなのに・・との想いも入り交じり、感慨は一層深まります。
御影をあとに梅田を目指す1100形各停(架線柱まで塗り揃えた阪急マルーン病蔓延の頃)
今回も日立製となる1000系、1300系の、公開されたレンダリング(イラスト)の先ずはインテリアから見て行くと、気になる点が多々あります。9000系インテリアからの主だった変化としては、間接照明を取りやめたと見て取れる天井の造形と、各ロングシート両・片袖に新たに設けられる大ぶりのパーテーションと、そこから網棚に至るスタンションポールの存在が挙げられます。
記憶の限りでは、阪急初となるのではなかろうかと思うスタンションポールの設置について、座席袖の大形のパーテーションの端面から網棚端へ、S字のカーブを描いて向きを変え繋げた形状は、良く整理されている方かと思うのですが、個人的な趣味的嗜好と致しましては、細長い閉鎖空間の車内にスタンションポールが並んでしまうと、意外な程の存在感を放ちギラギラと目立つので、視界と居心地を妨げる、今ひとつの設えと、常々疎ましく思っておりますため、阪急よ、お前もか!と愕然と致しました。嘆いていても仕方ありませんので、阪急電車ならきっと、イラストでは良く分からない材質等の工夫で、例えば握り心地の改善などへの新鮮なアプローチが成されることに期待したいと思います。
プレスリリースによれば、この座席袖の大形のパーテーションとスタンションポールは「万一の急ブレーキ時に、お客様と車内設備またはお客様同士の2次的衝突を防止するために」設けられたと解説されています。
あの凄惨な福知山線事故以来、従来から続けられていた、車内に於ける乗客の安全確保の研究がさらに加速した、と聞いており、知る限りでは、近畿車輛など、実車応用に積極的な様子が伺え、特に熱心に取り組まれて居られる印象を受けます。余談になりますが、以前JRの関係者から、「新幹線の内装の仕上げが特に美しいのは、近畿車輛製」と伺ったことがあり、バリアフリー、ユニバーサルデザイン、安全確保といった課題には、必ずデザイナーも参画しますし、メーカーのデザイナーは、ドラマで描かれるような、エアコンの効いた小綺麗なオフィスでサラサラと絵を描く、といったイメージとは異なり、工場の一員として汗まみれになりながら製造のサポートを致しますので、きっとしっかりと、デザイン部門が機能していることの表れなのだろうと、感心した次第です。
あくまで私見とお断りをした上で話を進めますが、緊急時の安全確保という難しい課題の克服と、危険を回避し安全に運行するためのシステム構築は、並行して取り組むべき課題と認識致しますが、現時点でのテクノロジーに注目すると、ぶつからないように運行させる、何かあれば兎に角停めるに徹して、万全の上の万全を尽くすことが、最も現実的な方策のように思えます。
207系の福知山線脱線事故も、本当に何か起こったのかの検証が未だに不十分ですし、大きくて細長く、開口部がいくつもあるような車両特有の構造体は、どう頑張っても脆弱です。
あの事故の起こる遥かに遠い昔から、阪急電車の運転台の眺めは、トランスポンダよろしく、ATCに近い機能を有するAF軌道回路方式ATSの指示で刻々と速度指令が変化し、万一の僅かな速度超過にも即座に自動制動が働いて、瞬く間に超過を解消するのが当たり前の光景でしたので、お陰で今でも安心して「かぶりつき」が楽しめます。
920形運転台
3000系運転台
6300系運転台 ※型式は違えど同位置にATS表示器
輸送力増強の最中にあった福知山線であるにも係わらず、ATS-Pが未装備であったことは、やはりお粗末と言わざるを得ませんが、一方で現場の見地として危険箇所では無かったとの証言もあり、元より大幅にマージンを取り設定されている速度制限に対して、運転士の経験値や他の物理的要因によっては、違った結果となっていた可能性も拭えません。であれば、エンジニアやデザイナーには山のような課題が突き付けられるはずです。何故脱線に至ったのかの真実を特定しなければ、本当の意味での車両の改良に繋がりません。
有事のサポートとして幾らか有効であるとしても、混雑時は別として、これまでのように肘掛けで腕を休めることが出来なくなり、恐らくは相当な圧迫感を伴うであろう立ち壁の存在は、ドアが開いた瞬間にドア横着座の乗客がひったくりの被害に遭うNY地下鉄ならいざ知らず、明らかにサービスの後退ではなかろうかと思います。細かいことを申せば、そのパーテーションの奥行きは、座面の奥行きに足らず、座面の角の一部が露出しています。耐久性も気になりますが、ここに紙屑を挟む輩も現れるやも知れません。こうしたことに神経を配るのが、最小の労力で車内を小綺麗に維持する阪急の伝統では無かったのかと、再び憂鬱になってしまいます。
本当に2次衝突の危険を防ぎたいのなら、少なくとも突起物は全て柔らかい素材のプロテクターで覆われてしかるべきで、穿った見方と承知の上で申しますと、厳し過ぎるのかも知れませんが、下手をすると、万が一のコンプライアンス対策としか映らない、残念な設えに見えてしまいます。
続いて天井の造形について、9000(9300)系と同様に幕板まで同じ素材で構成されており、先に述べた問題点の解消には、残念ながら至らないようです。間接照明をやめるならツヤ消し素材である必要が無く、現物がどのようなテクスチャーとなるのか、気になるところです。さらに困ったことに、同じく日立笠戸工場製の東武60000系の天井と酷似しており、阪急電車の天井空間は、例えば吊り広告は他社に無いひと廻り小ぶりのサイズですし、週刊誌の広告は掲載しない方針も貫かれていますし、(一部の更新車に例外はあったものの)カバー付きの灯具は勿論のこと、細やかに配慮された機器配置が好ましい、小ざっぱりとした見付けが当たり前のことであっただけに、いよいよ共用の大波がやってくるのかと嫌な予感が致します。
鉄道会社からの脱皮を標榜する気運により、系列のアルナ工機を整理した阪急でしたが、私はどんな企業であれ、本業を軸にして発展すべきと強く思います。以前勤務しておりました家電メーカーも、社員も驚く程、沢山の業種へ事業展開を続け、財界からもその点に注目されたメーカーでしたが、本業が傾くとあっけないもので、今は上場も廃止され、(相手からはライバル視されておりませんが)ライバルメーカーの子会社となりました。多くの仲間の悲哀は、思い出すだけでも胸が締め付けられます。阪急マンに言わせると「超、鉄道会社」なのだそうですが、先人が営々と築き上げて来た鉄道事業の質だけは、決して落とさず、守り抜いて頂くことを願わずには居られません。
検証した事は無いので、勝手な思い込みとお断りした上で、2000形以降の阪急電車は、前照灯にしろ、標識灯にしろ、窓にしろ、徹底的に標準化した部品で構成されており、鉄道車両の製造は他の工業製品と違って、なかなか量産効果が得られませんので、国鉄103系が1両4,000万円程度だった時代に、阪急は1億円を超えていましたから、こうした部品の標準化により費用の抑制が地道に行われていたのではなかろうかと、質を保ち、抑えるところは抑え、標準部品の活用で捻出した費用はまた目に見える改善に活かす、といったような事が、きっと行われていたに違いないと、モノ作りに携わった人間の勘として感じております。
電機子チョッパ制御の実用試験車2200系と、京都線特急車の6300系で、制御室が拡大し、隣りの客室扉との間の寸法が縮まって、標準サイズの窓が入らなくなった際も、あっさり窓無しとして、その部分の客室照明は常時点灯として対応したものの、後々にお客様から暗いと指摘され、同様の仕様車へ、幅を狭めた小窓が追加されていく事になる訳ですが、その際も、新たに小窓を作ることへの相当の議論と抵抗があったそうです。
西灘時代の王寺公園駅を通過する2200系梅田行特急
側窓が廃止された箇所の天井灯は常時点灯
9000(9300)系では、個性的な前頭形状でしたが、やや従来のスタイルに戻される今度の1000系、1300系なら、8000系以降標準スタイルとなった角形シールドビーム2灯の前照灯デザインが何ら問題なく使える造形ですので、何もまた新しく起こさなくとも良いのにと思ってしまいます。製造を外部に委託するということは、こういった思考回路も失われるということなのでしょう。折角LED前照灯となるのに、LEDならではのデザインへのチャレンジも見当たらず、それを新しい風通しによる活性化と済ませて良いものか、メーカーとともに、やっておくべきことは、吟味に吟味を重ねた上で、この先の少なくとも20年を見据えた、阪急伝統の、巧みな標準化、標準スタイルの確立ではなかろうかと思います。それがあの「今後、大きくモデルチェンジをするとしたら、それは窓を変える時」の意図するところに思えてなりません。
9000系では、ドア間の大窓は中央の縦桟1本で仕切られる構造
でしたが、1000系、1300系では、イラストを見ると縦桟が2本に増えて、連続窓乍らも(伝統?の)ドアの間は窓3つとなるようです。
先述の山口益生さんの著書の中で、9300系のインテリアについて「アルミ生地色とブロンズ着色の使い分けの整理と統一が必要」と私見をご披露されています。その他にも3点の指摘をされて居られますが、私はこのご指摘に全くの同感で、私のような外野の単なる阪急好きとは違い、OBとは言え、身内の見解は誠に意義深く、心強く感じた次第です。ご指摘が功を奏したのかは定かではありませんが、2本の縦桟も、ドアサイドの把手もシルバー色に戻り、スッキリと致しました。
何かと共通部品と漏れ聞いた覚えのある、9000(9300)系に用いられたブロンズ仕上げの凝った形状のドアサイドの把手は、手掛かりも好ましく壁に馴染む形状で、それこそ2次衝突に対しても有利かと感心しておりましたが、1000系、1300系では、コンベンショナルなパイプ状に改められたところを見ると、握りしめることが難しい形状にやはり難点があったのかも知れません。その長さはしっかりと、床面近くまで確保されており、私の子供時代には考えらなかったことですが、随分と遅い時刻まで、学習塾帰りの小学生達がちょこまかと乗り込んで来る沿線ですので、こうしたユニバーサルデザイン思想の活用は今後も維持して頂きたく、更新車への波及も期待したいところです。
3分割された窓について、ここのところの常套仕様である、中央の窓は固定とするにしても、責めて両端の2枚は開閉式、となっていて欲しいと期待するところです。
空調の完備された今日の通勤車両では、車内で乗客が窓を開閉する行為自体を目にすることが殆ど無くなりましたが、緊急時を思えば開口を確保するに越した事はありません。更新の度にドア寄りの窓のパワーウインドウ化が進みましたが、それでも窓を開ける乗客はまばらで、私などやはり古い世代なのか、心地のよい季節になると、開閉ボタン触りたさも手伝って、つい窓を開けたり閉めてみたりと無駄に遊んでしまいます。
インテリアのイラストに開閉ボタンの姿が見当たりませんので、(まさかの固定で無いことを祈りつつ)開くとしても、手動に戻ったものとして、元々優れた操作性を誇るフリーストップ式の下降窓ですから、機構を踏襲してさえいれば、パワーウインドウにする必要性は無かろうと考えます。ただ、イラストで表現されている窓の奥行きですと、どうしても固定窓に見えてしまい、若干の不安が残ります。
窓とともに、長らく阪急電車の定番として君臨したのが、窓の内側に設えられ、使用時には外観上も涼しげなアクセントとなっていた、ヨロイ戸仕様の日除けですが、2000形で使用が開始され、阪急伝統の、結果的に最後の世代となった現行仕様の日除けの出来は、機能的には、伝統的に変わらない、風を通しながら日射を遮る、しかもロールカーテンのように風圧でバタバタと暴れない優れものですが、窓下端から上方に向かって引き上げて、ワンストップで固定するというその操作性に関しては、重たさと扱いに慣れが必要なうえ、仕舞う際には、上から叩き落とすような、紳士淑女に似合わない乱暴な所作を伴いますので、決して褒められたものではありません。
近年、更新の度にヨロイ戸式から、窓枠両サイドのガイド内をスライドする、フリーストップ式のロールブラインドに変更されていますが、初期のタイプの、窓下端から上方へ引き上げるタイプの方が、ヨロイ戸時代同様に、R仕舞いでストップして、上方に窓越しの視界が確保されるので、個人的には好ましく思います。更新時の行程上の優劣も影響したものと思われますが、現在は9000(9300)系同様に、上から引き降ろすタイプが主流となりましたが、全閉時に上方に留まる面の織りを薄くして、立席客の視界に配慮されてはいるものの閉塞感は否めず、無駄に車内を暗くしてしまわないメリットもある引き上げ式の再考が待たれます。窓外の、流れる景色を眺めるのが大好物な鉄ちゃんの抱く印象ですので、大多数の乗客にとっては、どうでも良いことなのかも知れません。ただ、阪急ならではの、もう一工夫が欲しいところです。インテリアでは他に、網棚の形状も新しくなるようですが、こちらの評価は現物を見てからに致します。
インテリア全体の変化として、やはり気になるのは「2次衝突対策」への対応に尽きそうです。阪急がこれまで、スタンションポールに代表される「掴み所」の増設に積極的ではなかった事は明らかで、その背景には、優れた乗り心地の確保に努めて来た技術陣の、誇りや自負の存在を感じます。
私自身は、阪急の乗り心地について、1435ミリの標準軌間であること、保線のよく行き届いた上等な軌道であり、ロングレール、伸縮継目、地道な線形の改良と、オーバーハングの少ない(連結面間)19mの車体長との組み合わせあっての乗り心地に有利な条件の元、石橋を叩いても渡らない阪急らしく、満を持して枕バネに空気バネを用いることを標準化した5000系以降の、細やかな、台車やリンク機構の改良と相まって、(あくまで通勤車両に於いての話しですが)既に文句の付け様のない振動抑制域に到達した印象を抱いております。
勿論、ヨーイングやローリング、ピッチングが上手く抑えられていても、最後に残る加減速時のGについては、宝塚線や今津線は兎も角として、神・京の本線上は、各駅停車であっても発車するや一気に加速し、ぎりぎりまで巡航を保ち、ドカンと制動する、ファンにとってはたまらない魅力の阪急電車の挙動は、乗客に優しく無いことが明らかです。(余談ながら、幼少の頃の私は、この猛々しい運転パターンが恐ろしく、穏やかで滑らかに加減速する阪神電車を好む一時期がありました)
過去の車両側の様々な改良時の経緯が示す通り、お客様あっての鉄道事業ですから、クレームが挙れば迅速に対処するのが当たり前なことであることを考えると、阪急電車は、「掴み所」の必要性を感じさせない乗り心地として、受け入れられて来たものと判断して良いと思います。
なのに、今更という(趣味人の独りよがりも大概に、と叱られそうですが)気分から逃れられず、コンプライアンスを取り繕うのなら、孤高の思想を貫く鉄道会社であって欲しいものと、つい願わずには居られません。
これまでインテリアについて述べて参りましたので、最後にエクステリアについて纏めて置きます。制御車の前頭は、結局、華やかに着飾った9000(9300)系が、スタディーの域で終わる事を示すかのように、コンベンショナルなスタイルに戻された感がありますが、最も合点が行かないのが、幌枠が省略されている点です。
このことは、純粋にファンとしての意見となってしまいますが、阪急電車の顔を印象付けるエレメントは、形態を単純化して頭の中で再構築してご覧になればお分かりの通り、正面左右の窓枠と、その間の貫通扉の周囲を囲う幌枠の存在と言えます。少々遊びの過ぎた感のある9000(9300)系の前頭部に於いても、中央に幌枠が存在するこの法則が守られたからこそ、阪急電車らしさを醸す面構えを維持出来たと見るべきで、如何なる理由があるにせよ、銀色の幌枠を無くしてはなりません。
欲を申せば切りが有りませんが、私見と致しまして阪急電車の正面は、おでこの中央にコンパクトに纏めた前照灯、その左右に標識灯、そして貫通扉窓下中央正面に切り抜き文字の車番があることが理想で、新たな顔つきとなった2200系、6300系にも当時は可成り抵抗がありました。その後の顔の変遷は、今ひとつ決め手に欠ける試行が、未だに続いている感じが致します。
阪急電車の車体更新は、内外装ともに上手く出来ていて、以前から度々感心させられて来ましたが、最新のお気に入りは7300系・7000系のリニューアル車です。顔のイメージは、1000系、1300系に共通しますが、寧ろ、このリニューアル車の方に好感が持てます。先に申した通り、前照灯は8000系のパーツで十分です。標識灯廻りのラインの整理の意図も理解し歓迎も致しますが、いつの間にやら左隅窓下に追いやられ、小さくなった車番表示には、最早目をつむるとして、幌枠だけは、無くしてはなりません。
810形(872)のカットレスレンズで覆ったシールドビーム2灯化改造
(みっともないブタ鼻とならず普及して欲しかった好例)
千里線710形シールドビーム2灯化事例(2000形以降の前照灯の活用例)
最小限の手当で小綺麗にまとまった2800形3扉化改造
鉄道会社からの脱皮を標榜する動きのひとつとして、阪急マルーンの車体色を変更する検討がなされた時期があった事は有名な話ですが、社内の事情もありつつ、沿線住民の強い反発が、その後の断念の理由のひとつとして挙げられます。
100年続く普遍の車体色は、沿線住民にとって、最早、原風景であり、街の象徴として昇華していることの裏付けと申せましょう。先に申した、阪急らしさを司る、前頭部の要素も、他の沿線に比べ圧倒的に毎日同じ顔を目にする阪急沿線の住民の間には、鉄ちゃんにあらずとも、阪急電車といえばこんな顔、と言った具合の、無意識的イメージが定着しているように思えてならず、だからこそ、顔のイメージについても大切に扱って然るべきと考えます。
鉄道車両の専門家ではございませんので、誤りであれば、ご容赦願いたいところでありますが、造形的観点から考察致しますと、車両の前頭部の造形は、車体断面の形状に左右される宿命にあるようで、カタチというものは、面の繋がりで成り立つものですから、大まかに申せば、どんな屋根Rに、どんなコーナーRに、どんな側面形状にしたかにより、その延長上にある前頭部の、出来る、出来ないの形状が、自ずと決まって参ります。近年では、差別化狙いなのか、意図的にこのセオリーに抗った顔付きが時たま現れて仰天致しますが、個人的には殆ど感心致しません。
夙川を通過し梅田へ向かう2000形特急
阪急2000形の前頭形状は、断面形状から連なる面が妻面に突き当たり角となる継目の部分を、全周に渡り適度なRでぐるりと素直に受け止めた、誠にシンプルな手法でありながら、妻面を3つ折りの折妻としたことで、スピード感を持たせた秀逸なデザインと、今でも新鮮に感じます。また、1000形に始まった張殻構造で生まれた車体裾のR形状を踏襲したことは、正面や側面が直線的になったぶん、視覚的に、よりボディー面に厚みを感じさせるソリッド感を生み出し、欧州の車両にも似たスマートさを醸し出しています。
車体裾のR仕舞いもまた、近代阪急スタイルの鍵となる造形と申せ、ダブルスキン構造採用の9300系には気をもみましたが、やや曲率は緩慢に見えるものの、裾のRは踏襲され 一安心した次第ですが、ダブルスキン構造にとって、最も合理的な断面形状があるのなら、それを元にすれば、画期的な次世代の阪急スタイルが誕生する可能性がある訳で、表面的なイメージの継承を、阪急の佳き伝統の継承と、安易に履き違えてしまわないよう思考することも、阪急電車の未来にとって重要なポイントとなりそうです。
2000形の造形上の美点は他にも色々ある訳ですが、阪急マルーンの艶やかなボディーを一層際立たせるスタイリッシュなアルミユニット窓とともに、私が最も注目したのは、当時、電車の前照灯として、盛んに取り入れられたシールドビーム2灯の機能を、様々な電車が、様々なレイアウトで具現化化する中にあって、必要最小限のライトケースを用いて、その反射板上に2灯を詰め詰めで並べて、車体に露出する面をガラスカバーで覆い一体感を持たせた、コンパクトでスタイリッシュな2000形の前照灯でした。またそのライトケースが収められる正面中央のおでこの位置は、ライトケースの上部が、先に申し上げたコーナーRに僅かにかかる箇所が存在するので、その部分だけは正面の平面を延長することで、ライトケースを控えめに囲った造形は、秀逸と申せます。
豊橋行き名鉄7000系パノラマカー先頭席から、同士のすれ違いを展望(手前はユニットクーラーのグリル)
こうした発想や配慮は、元来デザイナーの得意とする分野で、名鉄7000系パノラマカー開発時に、前面展望のコンセプトの元に纏められた先頭部が、踏切事故から乗客を守るために考案された衝撃吸収バンパー(就役後に実積を挙げた事例があったといいますから、立派なものです)を内蔵するため、ボンネットバスのような厳つい形状となることを問題視した関係者が、国鉄初の起用となった貨物用直流電気機関車EH10の開発でも知られるデザイナーの萩原政男さんに助言を求めたところ、バンパーはそのままに、前面窓のみをボンネットの先端位置まで持って来ることで、室内に取り込まれることになる左右バンパーの間のスペースは、ユニットクーラーの置き場として活用するというアイデアを示され、皆様ご周知の通りの流麗なデザインが実現するところとなります。
2000形開発当時の状況を知るところではありませんので、なんとも推測しがたいところでありますが、年代的に見て、恐らくデザイナーは係わっておらなかったであろうと素直に推測すれば、担当エンジニアは、余程の造形センスに恵まれた方だったに違いないと思う次第です。そのような、類い稀なる才能を持ち合わせたエンジニアであられたのが、島秀雄さん、星晃さんだったと常々思うところでありますが、貫通型仕様と決まった国鉄153系急行形電車の設計を纏めることになった当時の星晃さんに、島秀雄技師長は「みっともない顔にならないように」と指示をされたそうです。
9000(9300)系では、この前照灯に対する扱いも、離してみたり、囲ってみたりと遊びが過ぎて定まらず、間を置いて離す理由が機能由来のもので無いのであれば、現場のデザイナーは、島技師長の投げかけた言葉の意味を、良く心得て欲しいと願うばかりで、新鋭1000系、1300系前照灯の、いたずらに間延びしたデザインにも、意味が汲み取れず、LED化という折角の機会を活かす積もりが無いのであれば、工程上の視点からも、8000系のライトケースの装着で十分と思う所以がそこにあります。
エクステリアとしては他に、側面に2つある筈の、種別、行先表示窓が、どうやら一纏めにされたようで、分けて個別に表示することが、ここ暫く継続した標準スタイルであっただけに、統一感に欠け、面白くありません。
その他、趣味的視点で興味の湧くところとしては、梅田方からTc-M-M'-T-T-M-M'-Tcとなる妙にコンベンショナルな今回の編成に於いて、何故か、両端のTc車の形番が1000、1300(大阪寄り)、1100、1400(神宝、京都寄り)、さらに神宝、京都寄りの中間電動車ユニットの車番が、1550及び1650、1850及び1950と、10位の数字が、主電動機があれば0〜4、主電動機無しは5〜9と定めた従来からの車番付与法則に反した点です。2組の中間電動車ユニットを擁する編成ですから、1000系のM車に1500、1600、1700、1800と順番に割り振って行くと、1300系のM車1800に食い込んでしまいますし、1300系のM車も順に割り振れば、1800、1900、2000、2100と、1000番代を超えてしまうので意図するところは理解出来るものの、Tc車に50をプラスしない不可解さは拭えず、どうしたことかと、更に混乱に追い打ちがかかります。
多少景気は上向きつつあるとはいえ、鉄道事業を取り巻く今日の環境は、依然として大変厳しいものと容易に想像がつくものの、であばこそ、超、鉄道会社を目指すのなら、足元の鉄道事業を疎かにすることなく、その鍵は、なにより阪急らしさの真理を捉え、細やかに目配りすること、が、やはり大切に思えて仕方ありません。
以前の職場で、私の担当した新製品が、既に量産品の金型まで出来上がっていた段階で、その商品の事業そのものからの撤退が決まったことにより水泡と化し、例えようもなく重たい空気に包まれた現場の経験があります。業績が傾くと、どうしても現場の士気は下がるもので、新鋭1000系、1300系の現段階での姿には、新車に賭ける心意気そのものへの、量的・質的、或は思想的な、変化の兆しを感じざるを得ず、野球は阪神、電車は阪急の救いようのない阪急馬鹿と致しましては、勝手乍らの趣味的老婆心の範疇も含め、誠に不安に感じる次第であります。
案の定の長編となってしまいました。日頃の鬱憤を吐き出したところで、この先暫くコラムの更新はひとやすみと致しまして、オシ17の開発を急ぎます。
※8000系シート写真の一枚を除いては、保存状態のよろしくない古い紙焼きの写真をスキャンした画像を掲載しております。今更ながらの腕の無さを痛感し、誠にお恥ずかしい限りです。
(2013.06.30wrote) |