第75話【東海道新幹線開業60周年】
東海道新幹線開業当時、自身は小学2年生の鉄道少年でした。今と違って「鉄道趣味」には子供っぽさがつきまとい公言は憚れる世相だったなと、当の少年であった自身にもその自覚があって鉄道趣味は密かな楽しみとしておりました。
新幹線電車の登場でそんな鉄道少年に最も衝撃を与えたのは、型式が無いという点でした。車番はハイフンで区切り後ろに標記する国鉄らしさを見せる一方で(知恵が付いたら圧倒的なボリューム差に応じた当然の扱いと気づくのですが)、2桁の数字のみで車形を表す私鉄電車のような方式が珍しく、図書館の図鑑で覚えるのに必死でした。
暫くして、型式が存在しない理由について「新幹線電車はこれが決定版なのでモデルチェンジの必要が無く、型式を付与する理由が無いため」と聞き及ぶと、子供乍らにいくらなんでもと半信半疑ながら仰天したことを今でも鮮明に覚えております。
開業前「東京ー大阪3時間・夢の超特急」とリアルタイムで刷り込まれていただけに、開業後に1年間も続いた160Km/H運転にはがっかりでしたが、後に路盤の安定化のためと知って納得し、なにがなんでもオリンピックに間に合わせるという当時の心意気は、同様に「東京ー大阪1時間・昭和60年開業」と聞かされていたリニア新幹線の現状を思うと尚更に(環境の差はあれど)あっぱれと申せます。
新幹線電車で象徴的だった(後にダンゴ鼻と称される)先頭形状の中央に位置した丸い連結器カバーは、登場時「光前頭」と称されて、前照灯から導光して昼間も光っていたことがとても未来的に見えて自身のお気に入りのポイントでもありました。
昼間の保線員に列車の接近を気づかせる装置として考案されたもののアクリル製だったことで破損が頻発し結局鋼製に交換されてしまいましたが、今や客席の側窓も樹脂製(ポリカーボネート)が当たり前の時代ですので技術の革新に感動致します。
(因みにアクリルはガラスの20倍・ポリカはガラスの250倍の強度なのだとか…)
飽和状態にあった東海道本線の輸送力増強策として全線複線化案と争った東海道新幹線が遂に開業すると、あれだけ華やいでいた東海道本線は衰退し、時刻表を眺める鉄道少年の心も痛めつけられました。丁度、山陽本線も全線電化され151系も西へスライドして、ED72形+サヤ420形のサポートを受け交流電化区間の博多まで乗り入れを開始してワクワクしましたが、狭軌鉄道での速度記録が更新される度に「標準軌に落とし込めば時速200キロは当然」と散々聞かされていた通りに、着実に既存技術を積み上げて登場した新幹線電車には、ある意味趣味的な面白みに欠けていた感もあり、東海道新幹線が齎した在来線の変容の方が、寧ろこの先どうなるのだろうとやるせなかったです。
そんな複雑な想いを抱いた東海道新幹線電車に初めて乗車したのは、開業6年目を迎える年の1969(昭和44)年の中学入学前の春休みの東京旅行にて東京から新大阪までの全線乗車でした。
あの頃を振り返ると、東京駅新幹線ホームは今より売店も少なく、素っ気なくてシステマティックで整然としていたように思えます。乗車に際して最も興味があった点は音と乗り心地・快適性についてでした。
25m長のボギー車のジョイント音はどんなリズムを刻むのか?その前にロングレールの快適性は?…東京駅をゆるゆると発車してしばらくするとコトン・コトンと在来線では耳にしない(連接車に似た)独特で単調なジョイント音が聞こえ始め(25mレールを溶接で繋ぎ合わせた際のロングレールでは接合部で音がすることを、在来線で経験しておりましたので)おお!これか!と聴き入った次第です。
夕刻の出発で車窓を楽しむ時間は限られましたが、意外なことに巡行に入っても車窓にあまりスピード感は感じられなかったのは、20系電車(後の151系)開発時に、地上の乗り物としてまだ非日常の世界といえた時速100キロ越えの運転速度に配慮して編み出された、客室側窓の下端を上げ乗客の目線を遠方へ誘うことでスピード感を和らげるという技が、この新幹線電車にも活かされた結果と実感しました。
走行音は、意外とモーター音が静かに感じた一方で、キハ82系や481系・20系客車の天井に設えられていた有孔パネルが醸し出すまろやかだった音質が失われたことと、まるで工場のような天井の見た目があわさったのか、全体的に角立った頂けない走行音に感じられ、まだ気密性も未熟な段階とあってはトンネルに入る度に襲われる耳ツン現象にもうんざりしましたが、それ以上に驚いたのが硬質な乗り心地でした。
豆腐の上に線路を敷設するようなものと例えられる軟弱な国土に、当時の最先端PCコンクリート枕木と上等な50kg/mレールで挑んだ東海道新幹線を走る電車の足廻りは、締め上げるに越した事は無いと安全マージンを最優先とした結果といえますが、上質な乗り心地とは言えずちょっと残念な印象で、正直これが究極なのか?本当にモデルチェンジはしないのか?と思った次第です。
初の新幹線乗車体験は、ビュッフェのスピードメータパネルを見に行くと芸能人に出会ったりなどと楽しい時間を過ごしてあっという間に新大阪駅に到着しますが、当時の運行はまだ、ホームに進入する手前までに発電ブレーキで先ずは30km/hにまで減速し、そのままホームに進入したら再びノッチを投入し、60km/hまで再加速したら再び制動を開始して停止位置に止めるという、新幹線特有の儀式だった二段階制動が継続されていた時代でしたので、この体験も楽しみにしておりましただけに各駅・終着と堪能し尽せてお腹一杯の乗車体験となりました。
新幹線電車には面白いエピソードがありまして、自身が以前勤務していた家電メーカーの職場に、配属当初は片町線(現学研都市線)沿線の事業部に勤務されていた先輩から伺った話なのですが、沿線にある近畿車輌の徳庵工場の(車窓からも見える)敷地内に、ある日突然新幹線電車(年代から見て恐らく試作編成だったのだろうと思います)出現すると「近畿車輌ではロケットを作っている!」と職場で話題となっていたそうです。
そんな初代新幹線電車も、1985(昭和60)年に100系新幹線電車が登場すると、1964(昭和39)年から1986(昭和61)年の間に38次に渡り増備が続けられた初代新幹線電車は次第に0系と呼称され始め、今日0系として定着したのはご周知のとおりです。
社会人となると0系には東京出張で嫌というほどお世話になりました。当時勤務していた事業部では指定席の利用が許可されてはいたのですが、事業部トップが自由席派だったので、自ずと指定席利用は憚られ、ローカルルールに縛られてなかなかに辛い時代でした。
0系のモデルチェンジ車100系は乗り心地が随分柔らかくなったことが印象的で、JRに勤務する友人に聞くと、やはりバネを柔らかくしたとのことでした。
その後の300系の乗り味には、窓下端は肘掛けの近くまで下がって案の定スピードアップ以上のスピード感を否応無しに堪能させられはしたものの、起動・減速時の圧倒的な滑らかさといい、乗り心地の良さに可成りのインパクトを受けまして、新車というカテゴリーに於いても久々に感動し、以後の700・N700Aや最新のSの乗車体験を振り返ってみても、300系のインパクトはなかなかのものだったと今でも思います。
現代の新幹線に乗車した際につきものとなった「倒して良いですか?」の声掛けマナーについて、いつの間にやら常態化した理由がプロダクトにあるのではないかと常々思うところがありまして、開業60周年を記念してここにまとめて置きたいと思います。
34年前に57歳で他界した自身の母親は、病弱を意識してのことだったのでしょうが、列車移動が3時間を越えたら1等(グリーン)車に乗ると腹の中で決めていたような節があって、子供の時分、母親に同行すればありがたいことにこの3時間ルールのおかげで(勿論例外はありましたが)可成りの確立で1等(グリーン)車にありつけておりました。
お陰でR27形辺りまでのリクライニングシートにお世話になれた上に、ここでは大人しくしておかないと周囲の迷惑になるぞと学びにも繋がりましたし、鉄ちゃんの立場として母親への感謝は尽きない訳ですが、そういえばと、その時代に「倒して良いですか?」の声掛けなど聞いたことが無かったことが思い出されます。
今の新幹線電車の普通席のシートピッチは、当時の1等(グリーン)車のそれに肉薄するほどに既に前後に可成り余裕があるのに、何故声掛けが常態化したのか? そして当時の1等(グリーン)車の背ずりの傾斜角の方が今の新幹線電車の普通席よりも流石に深かったのに、何故昔は声掛けが慣習とならなかったのか?を探ると、今日の新幹線電車の普通席で当たり前となった設備として、未使用時は背ずりの背面に収納されていてロックを解除し手前に引き倒して使用するカンチレバータイプの脚テーブルの構造上、前席の背ずり傾斜角に応じてその使い勝手が悪化する弱点が、先ずは要因なのだろうと思う訳ですが、その事よりも、もっと不快感を増幅させる要因となっているのではと思うことがあって、それは背ずりのデフォルト角が、下手をしたらマイナス気味に見えるほど真っすぐに直立するその見た目の印象の所為ではなかろうかと考えております。(これほどデフォルトが直立しているリクライニングシートは希有だと思います)
車内に乗り込んで着席した直後に受ける気持ちの良い抜け感といいますか、前席との十分な距離が齎す居心地の良さを誰しも実感すると思うのですが、そのあと前席がリクライニングされると、その分の圧迫感・不快感の増幅の度合いが、他の座席より大きい印象を感じます。これが「倒して良いですか?」の声掛けに繋がる最大の要因なのではなかろうかと思う訳です。
JRさんは新幹線普通車のあのデフォルトで直立した背ずりの角度のことを「ノートPCの操作に適したビジネスポジション」と
広報されておられますが、人間工学的観点からも自身の実感としてもにわかに信じ難く、あの極端に直立するデフォルト角には、鉄ちゃんなら誰しもがピンと来る、新幹線電車特有の横に長い3列シートの方向転換に如何に対処するかについてのエンジニアの長きに渡る格闘の爪痕が透けて見えて参ります。
新幹線電車の3列シートを進行方向へ如何に自在に転換させるか、試作段階では転換を必要としない固定座席(ボックスシート)まで試したようですが、流石にこれはサービスダウンと、初代は、やや見劣りはするものの背ずりを前後にスイングさせて座席の方向転換に対応する私鉄電車の2人掛けクロスシート方式に落ち着く訳ですが、普通席のリクライニングシート化を図る段階となると、座席の転換自体を諦めて欧州的な集団離反方式を採用するなど迷走した印象で、自身も群馬工場への出張で何度も熊谷往復した際にこのシートのお世話になりましたが、お世辞にも快適とはいえない簡易リクライニングシートと引き換えに生じた居心地の悪さは、短距離乗車であっても頂けませんでした。
座席の向きを回転で転換させる所謂「転換クロスシート方式」(近年は「回転クロスシート」呼称が一般化しているようですが、オールドファンは「回転」と名が付けばクロ151形の1人用回転クロスシートの方を思い浮かべてしまいます)でも、シートピッチを確保して、座面の前端と背ずりの後端それぞれの座席転換軸との距離を、回転時に前後席に干渉しない範疇に微調整すれば、それが嵩張る3列シートでも回転による方向転換が可能になりますから、今やスタンダートとなった快適なリクライニングと回転による座席の方向転換機能を提供する新幹線電車の普通席はそうした工夫の賜物と拝察致します。
なかなかに良く出来た現在の新幹線電車の普通車シートで唯一個人的にも気に喰わない背ずりの直立具合は、JRさんがアピールされるビジネスポジションというよりは、回転のための微調整の結果と考えるのが素直に思えます。
かつて20系PCのナハ・ナハフや20(151)系電車で、特急3→2等車用の座席として採用されてT17形まで広く普及して自身も随分お世話になった、2人掛け転換クロスシートの座席の向きを転換させる場合は、1等(グリーン)車のリクライニングシートが通路側の足元に設置されていた足踏みベダルを踏み込んでロックを解除する(今では一般的な)方式だったのに対して、先ず背ずりを座面の側に押し倒すとロックが外れ、回転がフリーとなってそこで向きを変えると定位置のポジションで、前に倒していた背ずりが自動で元の角度に戻って同時にロックされるという仕掛けでした。
当時のシートピッチは900ミリ強と狭い前後空間でしたから、そこで座席の回転で転換させる技として、転換時に背ずりを畳んでマージンを取るというアイデアは、なかなかに秀逸と思えます。元々最適な傾斜に設定された背ずりの角度を弄るようなことはしなかったということです。
多分リクライニング機構にこのシステムを付加するのは難しそうですが、ロック機構はペダル式で良いので機構の付加に是非チャレンジして欲しいなと思うところです。
更に(エンプラも進化したりと素材に事欠かない今時なのですから)テーブルも袖仕切りに収納して自席で完結させ、使用時にはサイズや位置を自在に調整出来るようなタイプになれば尚良いのになと勝手な妄想は膨らみます。
リニア新幹線にやがて地位を譲ることになる東海道新幹線の(車内販売も無くなったことですし)室内設備・寸法関連などを見直すなど、将来を見据えた手入れが必要な時期にさしかかっているのかも知れません。
余談ですがリニアは国内特有の呼称で、国際的には磁気浮上方式を示すマグレブが一般的といえますが、SHINKANSENがインターナショナルな名称となったように「リニア」もそうなるかもですね。
つらつらと平素から東海道新幹線(結果的に車輌にフォーカスしてしまいましたが)に思うところを記してみました。記念年にギリ間に合ってやれやれです。さてさて遅れ気味のスロ54製品の量産作業に戻ることに致します。
(2024.12.19 wrote)
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