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第71話【地獄の2024年】
第72話【シール製品色調のリニューアルについて】
第73話【赤7号の不思議】
第74話【インテリアパネルキット スロ54製品「座席灯ユニット」パーツ解説】
第75話【東海道新幹線開業60周年】
第76話【スロ54製品・座席灯ユニット(簡易タイプ)パーツ・灯具面発光改良案】
第77話【模型製品に思うこと】

   
 

第71話【地獄の2024年】

今年は東海道新幹線開業から60周年というおめでたい年でありながら、昨年9月に発生したPCトラブルによる製品データの喪失に伴いデータの再構築に迫られることとなり、幸いにして習慣付いていた製品製作時のメモ書きだけは大量に手元にありましたので、やれないことは無くはないと「廃業」を頭の片隅に据え置きながら、制作途上だった「スロ54」新製品のデータも1からの作り直し・並行して他の失われたデータの再構築、間が悪いことに実施されたインボイス制度対応などのその他の細々とした環境整備(PCに依存する日常を今更乍らに思い知らされます)と、特に「スロ54」製品については既にパーツ化していたデータも含まれるため整合性必須の難儀な作業も加わり、想像以上に神経をすり減らす日々が続いたためか、元々の過労で不調気味だった体調も悪化する一方で、座して手指を動かせる間はまだなんとかなると言い聞かせながら作業を進めておりました。

結局見込みを越えて再開に1年以上を要しましたが、再開を契機に製品価格の値上げをさせては頂きましたがコストアップの相殺に過ぎませんし、相変わらずのボランティア事業状態は今後も続きそうで、今のところ出来る限り続けるつもでおりますが、シノハラさんみたいにある日突然「もうやめじゃ!」とケツをまくる日が訪れるやも知れません。
(2024.12.01 wrote)

 
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第72話【シール製品色調のリニューアルについて】

シール製品の色調について、色調には色の面が広いほど色相・明度ともに強い印象を与えるという独特の特性があって、元々鉄道車輌という広い面を踏まえ決定付けられている国鉄指定色を、1/80スケールの模型という小さな世界にそのまま持ち込んでしまうと必然的に目立たなくなってしまう現象に配慮して、これまでの製品には国鉄指定色に対して若干明度を上げて色味も強くするといったアレンジを加えていたのですが、LED室内灯の普及・殊にチップLED室内灯製品が台頭して車内が明るく照らされる傾向が強まると、意に反してどうも玩具的に見えてしまうケースが生じてしまう点が気になっておりました。

国鉄色見本色は基本的には塗装などの車体色を対象としており、一部に「繊維色」と明記されたカラーが存在するものの、全般的な繊維カラーへの付番については便宜的な意図も少なからず見受けられるのですが、この際ですので従来のアレンジを見直して、国鉄指定色に示されるマンセルカラー数値をRGBカラー近似色に変換したデータを基本に製品化することに致しました。

データ再構築という折角?の機会を得たことで、出力機の特性や従来品との差異にも配慮しながら製品改良のために 微調整を施した次第です。

ao14【青14号】※マンセルカラーRGB変換近似色



midori7【緑7号】※マンセルカラーRGB変換近似色 



(2024.12.01 wrote)

 
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第73話【赤7号の不思議】

戦後の自在腰掛・所謂リクライニングシートのモケット色は、スロ50〜54形・スロ60形・ナロ10形(他にマロネ40・41・オロネ10の寝台モケット)と登場当初は「ぶどう色5号」でした。

「ぶどう色5号」は純毛素材でした。当時の染色技術に問題があったのか早々に色落ちや乗客の着衣への色移りのトラブルを抱えたため、座席の殆どを白布のシートカバーで覆うなどの対策で凌ぎ、更新時を迎えた時点で「赤7号」色の合成繊維素材に置き換わります。

「赤7号」色は、日光線電化時に営業サイドの「こだま並み」の要望から準急行運用ながら異例のデラックスな装い(製造時より冷房準備車)で登場した157系電車のサロ157形のリクライニングシートモケットに初採用され、以降の急行形ロザ車に広く普及したカラーです。

budou5【ぶどう色5号】 



aka7【赤7号】※繊維カラー



aka【赤7号】



上の色見本は「国鉄色見本」に示されるマンセルカラー値をRGB変換したものですが(ディスプレイの性能差は兎も角)元見本との差異は軽微です。

しかしみなさんが今日ネットやメディアなどにて目にする機会が多々あるかと思う愛好家のリビングルームであったり鉄道喫茶などにインテリアとして設えられた往時の急行形ロザシートのモケット色は、色見本とは似ても似つかない「えんじ色」で、自身の実車の記憶の中でもポピュラーだったのは「えんじ色」でしたが、一方で非冷時代のキロ28形だったりスロ54形など、茶色いモケットの時代の記憶も鮮明で、確かに見本色に示す「赤7号」は使用されていたと納得はするのですが、ロザ車のカーテンキセなどにも採用されたこの「赤7号」色の色名は「マルーン」ですし、どう見ても「えんじ色」では無い以上その先に色番を伴わない色変更があったのでは無かろうかと想像致します。

国鉄色には色番の無いカラーも存在しており、例えば「暗紅色」や「試験色」などモケット色に関わるカラーもあって、もしかするとこの辺りの色味が、最終的に広く普及したリクライニングシートモケット色の「えんじ」色に関係があるのではないかと推測しております。

ankou【暗紅色】



test【腰掛モケット試験色】



キロ80形やキロ181形など製造当初から変わらず使用された無地の茶色いモケットの色番も未だに判然としない現状が示すとおり、繊維色の世界は資料が乏しく常々難儀を致しますが、遠のく史実の記憶や記録を取り戻すための考証は、継続が肝要かと考える次第です。
(2024.12.03 wrote)

 
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第74話【インテリアパネルキット スロ54製品「座席灯ユニット」パーツ解説】

乗車の機会に恵まれないまま記憶の彼方に走り去った実車のスロ54形冷改車ですが、小・中・高と続けた放課後・休日の駅詣での楽しみのひとつが、夕刻始発の夜行列車の入線から発車までの一連のドラマチックな仕業ステージの名優だった急行「阿蘇」・「天草」に組成されていた「名ナコ」のスロ54形の音だったり匂いだったりを間近で味わい尽くすことでした。飽きる事無く線路端にて鑑賞に耽ったスロ54形は自身にとっても思い出深く大好物の客車です。

この時代のスロ54形は、冷改による低屋根化や(必要に迫られた結果として)格下げとなった台車など、かつての「特ロ車」としての風格は薄れながらも、幕板部のカーテンキセと荷物棚で上下に挟まれた狭いテーパー面で展開する蛍光灯を採用した特徴的な横長の座席灯の設えがオリジナルのままだったのが嬉しくて、客室側窓越しでも良く目立ち特有の存在感を放っていだけに、模型化する際「座席灯の点灯化」は必須と心に決めておりました。

起業以前のプライベイトの時代に制作したフジモデルベースのスロ54形冷改車の「座席灯の点灯化」については、試行錯誤の結果(1点モノの作成なのでと最もシンプルに考えてスクラッチビルド的に)光源は側パネルの幕板部への設置に都合の良いTOMIX製Nゲージ用白色室内灯ユニットを選択し、座席灯及び幕板の面の描画を拵えて裏面に透け止め用の黒塗りつぶしの描画を貼り合わせて灯具の面を切り抜いた光沢紙をTOMIX室内灯ユニットに貼付け座席灯廻りを表現してパーツ化しています。
←(コラム「第4話」掲載画像)

今回の製品化では、現行のインテリアパネルキットの方式(支柱にパネルを固定し内装を再現)上、一部が肝心の支柱に干渉してしまう「TOMIX室内灯ユニット」を用いた当時の工法は持ち込めず、さらに順番を入れ替えることが不可能なパネルの組み込み手順上、新たに作成する「座席灯ユニット」パーツは、客室前後の中妻パネルを設置した後に設置せざるを得ないため、前後全長約180ミリ強のスペース内で完結するパーツであることが絶対条件となり、元々天地も狭いため、Nゲージ用のチップLEDにまで目を向けて、このスペースにうまくおさまりそうな光源を物色したものの、なかなか好適な製品に出会えず、結局「オシ16製品」でも推奨したモデルトレインプラスの無極性白色チップLEDを複数個用いて点灯用の光源とする方式を推奨させて頂くことにしました。(キットに光源は付属しておりません)


パーツ内部は、透明アクリル製角2・三角2柱から切り出したプリズムに反射用の銀テープを適宜貼付けた構造です。1光源で4灯分の座席灯を受け持ちますので、発光面にはやはり光源の距離により光量差を生じます。
LEDの増設も可能な構造ではありますが、費用面や配線に一工夫が必要となるパーツです。

点灯化させないケースにも対応出来るように、設置先となる側パネルの幕板の面の座席灯や押縁などの部分も細密に描画表現しております。

また専用光源を必要としない簡易タイプも同梱しております。


「座席灯ユニット」パーツ開発当初の案は実はこの簡易タイプでした。スロ54形冷改車は低屋根構造ですので室内灯との距離が近いためなのか、天井反射光に頼る方式では導光に期待した効果は得られず専用光源を用いるタイプに落ち着いたのですが、結果的に狭いスペースでの設置や配線を強いるパーツとなってしまったことが心苦しく、もう量産を始めた段階だったのですが、ふと考えるとこれまでのお客様との交流の中で常日頃抱く弊社のキットを巧みにアレンジしてお楽しみを頂いている印象に鑑みて、シンプルでアレンジの効く当初案も提供して置いた方が良いのでは無かろうかという考えに傾き、専用光源タイプの作成時に素材寸法の関係で大量に余剰を生じていたプリズムを再利用し、新たに描画面・取説を追加すればコストアップも最小限に抑えられると、急遽パーツの追加に踏み切った次第です。



点灯させてみたのが上の画像です。(座席は未整備です)座席灯の面にうっすらと光は感じるものの微妙です。

改良案として今考案中なのが「コラム第29話」でご紹介した現役時代の583系がホームに入線する際に側窓越しにチラチラと輝いていた下段寝台の寝台灯の雰囲気を再現しようとTOMIX583系に手作りの寝台セットを設えた際に考案した各下段寝台に光ファイバーを用いて室内灯の光を導光して寝台灯の存在を(雰囲気だけですが…)表現した手法を応用し、室内灯の側面から光ファイバーで各座席灯の真上へ導光すれば、発光を効率よく強化出来るのでは?と考えているところです。(なかなか時間が取れませんので当分間が空きそうですが実施の状況は追ってご紹介致します)
(2024.12.17 wrote)

 
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第75話【東海道新幹線開業60周年】

東海道新幹線開業当時、自身は小学2年生の鉄道少年でした。今と違って「鉄道趣味」には子供っぽさがつきまとい公言は憚れる世相だったなと、当の少年であった自身にもその自覚があって鉄道趣味は密かな楽しみとしておりました。

新幹線電車の登場でそんな鉄道少年に最も衝撃を与えたのは、型式が無いという点でした。車番はハイフンで区切り後ろに標記する国鉄らしさを見せる一方で(知恵が付いたら圧倒的なボリューム差に応じた当然の扱いと気づくのですが)、2桁の数字のみで車形を表す私鉄電車のような方式が珍しく、図書館の図鑑で覚えるのに必死でした。

暫くして、型式が存在しない理由について「新幹線電車はこれが決定版なのでモデルチェンジの必要が無く、型式を付与する理由が無いため」と聞き及ぶと、子供乍らにいくらなんでもと半信半疑ながら仰天したことを今でも鮮明に覚えております。

開業前「東京ー大阪3時間・夢の超特急」とリアルタイムで刷り込まれていただけに、開業後に1年間も続いた160Km/H運転にはがっかりでしたが、後に路盤の安定化のためと知って納得し、なにがなんでもオリンピックに間に合わせるという当時の心意気は、同様に「東京ー大阪1時間・昭和60年開業」と聞かされていたリニア新幹線の現状を思うと尚更に(環境の差はあれど)あっぱれと申せます。

新幹線電車で象徴的だった(後にダンゴ鼻と称される)先頭形状の中央に位置した丸い連結器カバーは、登場時「光前頭」と称されて、前照灯から導光して昼間も光っていたことがとても未来的に見えて自身のお気に入りのポイントでもありました。
昼間の保線員に列車の接近を気づかせる装置として考案されたもののアクリル製だったことで破損が頻発し結局鋼製に交換されてしまいましたが、今や客席の側窓も樹脂製(ポリカーボネート)が当たり前の時代ですので技術の革新に感動致します。
(因みにアクリルはガラスの20倍・ポリカはガラスの250倍の強度なのだとか…)

飽和状態にあった東海道本線の輸送力増強策として全線複線化案と争った東海道新幹線が遂に開業すると、あれだけ華やいでいた東海道本線は衰退し、時刻表を眺める鉄道少年の心も痛めつけられました。丁度、山陽本線も全線電化され151系も西へスライドして、ED72形+サヤ420形のサポートを受け交流電化区間の博多まで乗り入れを開始してワクワクしましたが、狭軌鉄道での速度記録が更新される度に「標準軌に落とし込めば時速200キロは当然」と散々聞かされていた通りに、着実に既存技術を積み上げて登場した新幹線電車には、ある意味趣味的な面白みに欠けていた感もあり、東海道新幹線が齎した在来線の変容の方が、寧ろこの先どうなるのだろうとやるせなかったです。

そんな複雑な想いを抱いた東海道新幹線電車に初めて乗車したのは、開業6年目を迎える年の1969(昭和44)年の中学入学前の春休みの東京旅行にて東京から新大阪までの全線乗車でした。

あの頃を振り返ると、東京駅新幹線ホームは今より売店も少なく、素っ気なくてシステマティックで整然としていたように思えます。乗車に際して最も興味があった点は音と乗り心地・快適性についてでした。

25m長のボギー車のジョイント音はどんなリズムを刻むのか?その前にロングレールの快適性は?…東京駅をゆるゆると発車してしばらくするとコトン・コトンと在来線では耳にしない(連接車に似た)独特で単調なジョイント音が聞こえ始め(25mレールを溶接で繋ぎ合わせた際のロングレールでは接合部で音がすることを、在来線で経験しておりましたので)おお!これか!と聴き入った次第です。

夕刻の出発で車窓を楽しむ時間は限られましたが、意外なことに巡行に入っても車窓にあまりスピード感は感じられなかったのは、20系電車(後の151系)開発時に、地上の乗り物としてまだ非日常の世界といえた時速100キロ越えの運転速度に配慮して編み出された、客室側窓の下端を上げ乗客の目線を遠方へ誘うことでスピード感を和らげるという技が、この新幹線電車にも活かされた結果と実感しました。

走行音は、意外とモーター音が静かに感じた一方で、キハ82系や481系・20系客車の天井に設えられていた有孔パネルが醸し出すまろやかだった音質が失われたことと、まるで工場のような天井の見た目があわさったのか、全体的に角立った頂けない走行音に感じられ、まだ気密性も未熟な段階とあってはトンネルに入る度に襲われる耳ツン現象にもうんざりしましたが、それ以上に驚いたのが硬質な乗り心地でした。

豆腐の上に線路を敷設するようなものと例えられる軟弱な国土に、当時の最先端PCコンクリート枕木と上等な50kg/mレールで挑んだ東海道新幹線を走る電車の足廻りは、締め上げるに越した事は無いと安全マージンを最優先とした結果といえますが、上質な乗り心地とは言えずちょっと残念な印象で、正直これが究極なのか?本当にモデルチェンジはしないのか?と思った次第です。

初の新幹線乗車体験は、ビュッフェのスピードメータパネルを見に行くと芸能人に出会ったりなどと楽しい時間を過ごしてあっという間に新大阪駅に到着しますが、当時の運行はまだ、ホームに進入する手前までに発電ブレーキで先ずは30km/hにまで減速し、そのままホームに進入したら再びノッチを投入し、60km/hまで再加速したら再び制動を開始して停止位置に止めるという、新幹線特有の儀式だった二段階制動が継続されていた時代でしたので、この体験も楽しみにしておりましただけに各駅・終着と堪能し尽せてお腹一杯の乗車体験となりました。

新幹線電車には面白いエピソードがありまして、自身が以前勤務していた家電メーカーの職場に、配属当初は片町線(現学研都市線)沿線の事業部に勤務されていた先輩から伺った話なのですが、沿線にある近畿車輌の徳庵工場の(車窓からも見える)敷地内に、ある日突然新幹線電車(年代から見て恐らく試作編成だったのだろうと思います)出現すると「近畿車輌ではロケットを作っている!」と職場で話題となっていたそうです。

そんな初代新幹線電車も、1985(昭和60)年に100系新幹線電車が登場すると、1964(昭和39)年から1986(昭和61)年の間に38次に渡り増備が続けられた初代新幹線電車は次第に0系と呼称され始め、今日0系として定着したのはご周知のとおりです。

社会人となると0系には東京出張で嫌というほどお世話になりました。当時勤務していた事業部では指定席の利用が許可されてはいたのですが、事業部トップが自由席派だったので、自ずと指定席利用は憚られ、ローカルルールに縛られてなかなかに辛い時代でした。

0系のモデルチェンジ車100系は乗り心地が随分柔らかくなったことが印象的で、JRに勤務する友人に聞くと、やはりバネを柔らかくしたとのことでした。
その後の300系の乗り味には、窓下端は肘掛けの近くまで下がって案の定スピードアップ以上のスピード感を否応無しに堪能させられはしたものの、起動・減速時の圧倒的な滑らかさといい、乗り心地の良さに可成りのインパクトを受けまして、新車というカテゴリーに於いても久々に感動し、以後の700・N700Aや最新のSの乗車体験を振り返ってみても、300系のインパクトはなかなかのものだったと今でも思います。

現代の新幹線に乗車した際につきものとなった「倒して良いですか?」の声掛けマナーについて、いつの間にやら常態化した理由がプロダクトにあるのではないかと常々思うところがありまして、開業60周年を記念してここにまとめて置きたいと思います。

34年前に57歳で他界した自身の母親は、病弱を意識してのことだったのでしょうが、列車移動が3時間を越えたら1等(グリーン)車に乗ると腹の中で決めていたような節があって、子供の時分、母親に同行すればありがたいことにこの3時間ルールのおかげで(勿論例外はありましたが)可成りの確立で1等(グリーン)車にありつけておりました。

お陰でR27形辺りまでのリクライニングシートにお世話になれた上に、ここでは大人しくしておかないと周囲の迷惑になるぞと学びにも繋がりましたし、鉄ちゃんの立場として母親への感謝は尽きない訳ですが、そういえばと、その時代に「倒して良いですか?」の声掛けなど聞いたことが無かったことが思い出されます。

今の新幹線電車の普通席のシートピッチは、当時の1等(グリーン)車のそれに肉薄するほどに既に前後に可成り余裕があるのに、何故声掛けが常態化したのか? そして当時の1等(グリーン)車の背ずりの傾斜角の方が今の新幹線電車の普通席よりも流石に深かったのに、何故昔は声掛けが慣習とならなかったのか?を探ると、今日の新幹線電車の普通席で当たり前となった設備として、未使用時は背ずりの背面に収納されていてロックを解除し手前に引き倒して使用するカンチレバータイプの脚テーブルの構造上、前席の背ずり傾斜角に応じてその使い勝手が悪化する弱点が、先ずは要因なのだろうと思う訳ですが、その事よりも、もっと不快感を増幅させる要因となっているのではと思うことがあって、それは背ずりのデフォルト角が、下手をしたらマイナス気味に見えるほど真っすぐに直立するその見た目の印象の所為ではなかろうかと考えております。(これほどデフォルトが直立しているリクライニングシートは希有だと思います)

車内に乗り込んで着席した直後に受ける気持ちの良い抜け感といいますか、前席との十分な距離が齎す居心地の良さを誰しも実感すると思うのですが、そのあと前席がリクライニングされると、その分の圧迫感・不快感の増幅の度合いが、他の座席より大きい印象を感じます。これが「倒して良いですか?」の声掛けに繋がる最大の要因なのではなかろうかと思う訳です。

JRさんは新幹線普通車のあのデフォルトで直立した背ずりの角度のことを「ノートPCの操作に適したビジネスポジション」と 広報されておられますが、人間工学的観点からも自身の実感としてもにわかに信じ難く、あの極端に直立するデフォルト角には、鉄ちゃんなら誰しもがピンと来る、新幹線電車特有の横に長い3列シートの方向転換に如何に対処するかについてのエンジニアの長きに渡る格闘の爪痕が透けて見えて参ります。

新幹線電車の3列シートを進行方向へ如何に自在に転換させるか、試作段階では転換を必要としない固定座席(ボックスシート)まで試したようですが、流石にこれはサービスダウンと、初代は、やや見劣りはするものの背ずりを前後にスイングさせて座席の方向転換に対応する私鉄電車の2人掛けクロスシート方式に落ち着く訳ですが、普通席のリクライニングシート化を図る段階となると、座席の転換自体を諦めて欧州的な集団離反方式を採用するなど迷走した印象で、自身も群馬工場への出張で何度も熊谷往復した際にこのシートのお世話になりましたが、お世辞にも快適とはいえない簡易リクライニングシートと引き換えに生じた居心地の悪さは、短距離乗車であっても頂けませんでした。

座席の向きを回転で転換させる所謂「転換クロスシート方式」(近年は「回転クロスシート」呼称が一般化しているようですが、オールドファンは「回転」と名が付けばクロ151形の1人用回転クロスシートの方を思い浮かべてしまいます)でも、シートピッチを確保して、座面の前端と背ずりの後端それぞれの座席転換軸との距離を、回転時に前後席に干渉しない範疇に微調整すれば、それが嵩張る3列シートでも回転による方向転換が可能になりますから、今やスタンダートとなった快適なリクライニングと回転による座席の方向転換機能を提供する新幹線電車の普通席はそうした工夫の賜物と拝察致します。

なかなかに良く出来た現在の新幹線電車の普通車シートで唯一個人的にも気に喰わない背ずりの直立具合は、JRさんがアピールされるビジネスポジションというよりは、回転のための微調整の結果と考えるのが素直に思えます。

かつて20系PCのナハ・ナハフや20(151)系電車で、特急3→2等車用の座席として採用されてT17形まで広く普及して自身も随分お世話になった、2人掛け転換クロスシートの座席の向きを転換させる場合は、1等(グリーン)車のリクライニングシートが通路側の足元に設置されていた足踏みベダルを踏み込んでロックを解除する(今では一般的な)方式だったのに対して、先ず背ずりを座面の側に押し倒すとロックが外れ、回転がフリーとなってそこで向きを変えると定位置のポジションで、前に倒していた背ずりが自動で元の角度に戻って同時にロックされるという仕掛けでした。

当時のシートピッチは900ミリ強と狭い前後空間でしたから、そこで座席の回転で転換させる技として、転換時に背ずりを畳んでマージンを取るというアイデアは、なかなかに秀逸と思えます。元々最適な傾斜に設定された背ずりの角度を弄るようなことはしなかったということです。

多分リクライニング機構にこのシステムを付加するのは難しそうですが、ロック機構はペダル式で良いので機構の付加に是非チャレンジして欲しいなと思うところです。

更に(エンプラも進化したりと素材に事欠かない今時なのですから)テーブルも袖仕切りに収納して自席で完結させ、使用時にはサイズや位置を自在に調整出来るようなタイプになれば尚良いのになと勝手な妄想は膨らみます。

リニア新幹線にやがて地位を譲ることになる東海道新幹線の(車内販売も無くなったことですし)室内設備・寸法関連などを見直すなど、将来を見据えた手当が必要な時期にさしかかっているのかも知れません。

余談ですがリニアは国内特有の呼称で、国際的には磁気浮上方式を示すマグレブが一般的といえますが、SHINKANSENがインターナショナルな名称となったように「リニア」もそうなるかもですね。

つらつらと平素から東海道新幹線(結果的に車輌にフォーカスしてしまいましたが)に思うところを記してみました。記念年にギリ間に合ってやれやれです。さてさて遅れ気味のスロ54製品の量産作業に戻ることに致します。
(2024.12.19 wrote)

 
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第76話【スロ54製品・座席灯ユニット(簡易タイプ)パーツ・灯具面発光改良案】

なかなか収拾のつかない身体の不調を日々だまくらかしなから、年末から雑多な案件にまみれ気がつけば年賀状の制作も侭ならないままに年が明け、失礼ながら年始のご挨拶を断念させて頂いた次第で、年始早々の粗相をお詫び申し上げます。

さて2025年最初のコラムは、第74話でご紹介しましたスロ54製品の座席灯ユニットの簡易タイプで課題となった照度不足の解消について、その後先ずは光ファイバー方式を試してみたところ、導光は上手く行くのですが、元々モデルに取り付けていた室内灯が、後工程で必要となる配線スペースを確保する意図で、前後の2本の間を離してセットしていたため、丁度客室の中央付近が光源の無い空間となり、その区間の光ファイバーの取り回しが複雑化し、力量不足が災いして思い通りに作れず結局断念しました。

或る日、お客様とそんな顛末をお話ししておりましたら「自分ならやはり座席灯用には専用光源の天井設置を優先に考える」と、そのエンジニアのお客様が仰るお話しが妙に引っかかりまして、座席灯の点灯化について開発当初は、光源を設置するスペースとして好都合な客室の前後配置を検討しましたが、客室前後の中妻を支柱で保持する本キットの構造上、例え支柱を透明素材に変更したとしても、同時に各所で光らせたく無い面の遮光対策が必須となり、色々と試しましたがキット化するには現実的な構造とはいえませんでした。

そのため光源は客室中妻間で完結させることにして本製品の仕様に至った訳ですが、方針転換した当初は自身も座席灯パーツ(現行の簡易タイプに相当します)直上にNゲージ用のコンパクトな光源の配置を検討していて、その時に入手したもののチップLEDの配列ピッチ(11mm)と座席灯の配列ピッチ(14.5mm)がズレてしまうことから使用を諦め手元に残していたポポンテッタ製品に再び注目し、この度一部幅を狭めるなどの軽めの加工を施して座席灯直上の天井に貼付けて試してみることに致しました。(下の画像の黒い基板がポポンテッタLED製品のパーツです。片側に2枚ずつ、計4枚使用しました)↓


幅を狭めたところで座席灯ユニット簡易タイプの直上とはならずオフセットされるのですが、設置して配線(急いで拵えたため老眼も災いして不細工なハンダ工作となりお恥ずかしい限りです)した後に(画像はありませんが)更にオフセットに対して余計な露光を生じさせないよう第74話の簡易タイプ設置例の画像同様に室内灯面以外の天井全体を白色のカバーで覆いました。下の画像が点灯した状態です。↓

構造的に仕方ないことですが、座席灯より上の幕板面が間接照明のように明るく目立ちますが、座席灯の灯具面は違和感なく(ほぼ均一に)しっかり発光する結果となりました。

幕板上部の面は、実際には外観からの視認がし辛いこともあって、思ったほど違和感も生じず、現状で良好な結果に収まったと考えるところです。↓


それにしても開発当初から危惧していたLEDのピッチと座席灯のピッチの差異による影響など十分に無視出来るレベルに驚いた次第で、一時はシーダーさんに14.5ミリピッチで専用LEDパーツの制作をお願いしようかと考えたこともありましたが、数の見込めない零細事業者にとってはコスト面で踏み出せず断念しておりましただけに、一応の良好な結果をお示しすることが出来て安堵しております。

「美しさは機能に宿る・意味のあるカタチ」などとプロダクトデザインの世界で生きて来た自身の脳はどうやら今も「整然」の発想に支配される傾向にあることを、エンジニアであるお客様の何気ない一言に気づかされた想いが致します。

デザイン業務の日常は、営業さんの理不尽な要求には対案を示して抵抗する術がありましたが、エビデンスに裏打ちされた技術屋さんのダメ出しは絶対でした。しかしながら「であればこの手があるかも」と、技術屋さんとの意見交換には楽しさが伴い、技術部門の提案には、条件的に許せる範囲であれば経験的な嗅覚に裏打ちされているかのような柔軟さを感じることが良くあったことが思い出されます。

いつになるやら先が思いやられますが、プライベイトのスロ54形モデルも今後この方式で統一することに致します。
(2025.02.22 wrote)

 
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第77話【模型製品に思うこと】

厳密に申せば偉そうな事など言えない立場ではあるのですが、本コラムでもボヤきが止まらない天賞堂さんのプラ製クロ151形モデルの外観からも悪目立ちするあり得ない高さの背ズリの上端位置であったり、スハ44系列客車に代表される各製品の座席の成型に一様に採用されている、安上がりな上下抜きの成型の所為で生じざるを得ない背ずり背面のプラスのテーパーなど、インテリアをなんとかしたいと思い続ける自身にとってはいくら「コスト制約があります」と説明されても、あの名門の天賞堂さんがどうして?と正直我慢の範疇を逸脱しております。

鉄道趣味の一環として楽しく遊ぶ模型趣味なのですから、些細なことはさて置いて「自由であるべき」と言えばその通りなのですが、失われた過去の愛おしい鉄道心象の再現であったり、大袈裟に言えば鉄道遺産の伝承にも少なからず寄与しているのでは?と、ムサシノさんの製品などのすざまじい出来映えに接すると感じ入ってしまうのも確かなことです。

日々の作業に追い立てられる中で、製品ページに掲載したモデル(急行「瀬戸」用スロ54 2021東シナ)を作成した際、必要なインレタが揃わず継ぎ接ぎをしてタイムロスに泣いたため、第76話に掲載したモデル(急行「天草」用スロ54 2042名ナコ)の作成では、時短を主眼にレボさんの「スロ54インレタ名古屋(昭和43年頃)」という製品を入手したのですが、検査標記は自身の好みでもある昭和43年頃まで使われていたCマーク付きで嬉しかったのですが、エンドマーク・電暖マーク(丸ポチ)は未収録、何故か所属標記の「名」の文字が旧書体で使い物にならず、何より困惑したのが定員が52名となっていたことでした。(仕方なくエンドマーク・電暖マーク・所属標記・定員標記は、TOMIX・くろま屋製を使用)

スロ60形を祖とする自在腰掛(リクライニングシート)を装備した所謂「特ロ車」の定員は
【定員44】…スロ60形・オロ61形・スロ62形
【定員48】…スロ50形・スロ53形・スロ54形・マロ55形
【定員52】…スロ51形・スロ52形
と、それぞれ時代背景・営業・設計等の諸事情により決定付けられた経緯はなかなかに興味深く、結果的に48名がロザ車の標準定員として定着するのはご周知の通りです。

「定員標記」といえども歴史を物語る訳で、たかが模型とはいえ誤りが放置されたままの製品に遭遇すると、如何なものかとつい寂しくなってしまいます。

レボさんの製品性能は標準的なレベルとお見受けしました。コラム第1話で記述した通り、前職の職場にて、提案モデルなどの作成に不可欠なインレタを日常的に内作しておりましたので、概ねの製造コストについても想像がつき、この製品サイズですと取数の視点で若干高いかなとも感じつつも、ムサシノさんが時折HPで公開されている(自身も痛く共感する)嘆きも然りで、製造に係るあらゆる面のコスト上昇で、遂に値上げに踏切りざるを得なかった弊社製品の現状も踏まえまして、当然ながら他要素も反映した上での製品価格であろうと、軽々しい批評は慎むことに致します。
(2025.02.28)

 
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