|
|
|
|
第31話【老朽化】
ここのところの「トワイライトエクスプレス」「北斗星」と次々と名列車が定期運用を退くこのタイミングでの度々の報道で耳にする「廃止の理由は老朽化」という論説に、どうしても北海道新幹線開業絡みの局面についての言及に乏しい印象が拭い去れず、その列車への思い入れが強い方であれば尚更のことと拝察を致しますが、つい正確な報道を願うあまりのもどかしさを覚えます。先日「寝台特急カシオペアも老朽化により廃止の方向」と記されたネットのニュース記事をたまたま目にした折には、画面に向かって思わずツッコミを入れた次第で。
今年度末には新青森ー新函館北斗間にて北海道新幹線が開業し、いよいよ青函トンネルにも当初の計画通りに新幹線が開通し、同時に鉄ちゃんにとっても興味の尽きない在来線とのトンネル共用が開始されることになりますが、ご周知の通り架線電圧の昇圧や新幹線用DS-ATCに対応する複電圧交流電気機関車の新鋭EH800型も登場し、H5系新幹線の試運転など、本番への習熟が進行中といったところなのでしょうが、例えば従来より(保安作業を除く)ディーゼル機関車や気動車の入線を回避して来た点に象徴される長大な海底トンネル故の特殊な環境下の保安運用面に加えて、高速新幹線列車と貨物列車とのトンネル内のすれ違いによる風圧問題に対応するために、開業時のトンネル内の新幹線速度は(一部を除いて)140km/hに制限されるそうで、その先には貨物列車まるごとを専用新幹線車輛に収納して運行するというトレイン・オン・トレイン構想まで浮上しているとのことですので、高速旅客輸送と北海道と本州を結ぶ重要な物流幹線としての役割を課せられるそれぞれの現場の運用・保守・保安に係わる関係の皆様の腐心が偲ばれます。
限られた時間内での日々の保守点検を思えば、青函トンネルを深夜の時間帯に通過する北海道連絡寝台列車の運行廃止も止むなしといったところですが、更にJR貨物以外の各旅客鉄道会社ともに機関士養成コスト削減の方針が見て取れますから、機関車牽引方式の旅客列車自体の存続が危ぶまれる事態となりそうで、先頭に立つ機関車に全幅の信頼を寄せ身を委ねる姿となる旅客列車の、かつての急行列車や特急列車の車窓から、カーブに差し掛かると13〜4輌連なった列車の先頭で豆粒のように見えた蒸気機関車の時代から、時代は移り変わってもそれぞれの機関車の逞しさにゾクゾクした、それはそれは味わい深い風情もいよいよ昔話となるのかも知れません。
ということで皆様重々ご認識の通り「トワイライトエクスプレス」も「北斗星」も老朽化はあるものの北海道新幹線開業に伴う青函トンネルに於ける「廃止の理由の第一は運用面・保安面の制約から」とするのが素直で、穿った見方をしてしまいますと、そこにはプロモーション的に「老朽化」とした方が受け入れ易いとのお会社サイドの判断も見え隠れ致します。
もの足りなさはこのくらいにして置いて「老朽化」といえば、還暦も近づいて参りました自身もいつのまにやら「老朽化」をしている訳で、この歳になると時折「終末」の事を考える時間が、以前より確実に増して来ていることに気がつかされますが、自身があの世に行った後には、これまで手塩にかけて整備して来た鉄道模型も残されてしまいますので、売却をするか、博物館や、これぞと思う後継者に譲渡をするか、果たしてどうしようかと考えるうち、いずれにせよ個々の車輛のキャラクターを、見る人が見れば分かるよう伝達する必要があろうかと、面倒な作業ではありますが、各車輛について「どう云う意図でどのように制作し、どう運用するか」を記したプロフィールメモを作成してパッケージに納めることを励行しております。実はこの作業を本格的に開始し5〜6年になりますが、それ以前の作成物についてもメモを入れる作業を並行しており、徐々にではありますが着手をする度に、忘れている事柄が思った以上に多いことに気付かされますし、近頃では(決して多くはありませんが)コレクションの全容を見渡したり、方向性を確認するツールとしても役に立つシステムであることを実感しております。
(2015.06.22wrote) |
|
PageTopへ |
|
|
|
第32話【583系インテリアをドレスアップ】
相変わらずのサボり癖から抜け出せぬコラム久々の更新ネタは、今夏まるまるを開発に費やしてようやくの発売となりました新製品「583系昼行仕様座席表皮」製品開発のお話しと致します。
本製品も毎度のことながら、趣味の時代の14年前にTOMIXさんの583系に座席表皮を設えるなどして内装を整えていた車輛をベースに開発致しました。
手始めに現物を解体し詳細に検証を致しますと、14年が経過してもなお、座席表皮の色調など状態は良好で、現行表皮シリーズにも使用を致します用紙の品質の良さを改めて確認するに至り安堵したところで、改めて実車の画像・図面・文献を手当たり次第に掻き集め、自身の記憶とともに印象表現(いつも申し上げております通り、個の感性に左右される印象表現の絞り込みは悩ましく、技術面も絡み課題が尽きません)の基準を整えた上で、いつもの手順で形状設計・描画・色彩調整などを経て製品へ落とし込みました。
座席表皮は、実車でも印象的だった背もたれの、四角いシートカバーのサイズ・位置面を検証し、実車では背もたれ上端のフレームに掛かる位置からマジックテープ留めで垂れ下がりますが、製品表皮にそのまま落とし込みますと、シートカバー上端が見切れてしまい「らしさ」が失われますので、やや下方へと「四角」に見える位置に修正致しました。
583系ハネ車のシート色は、485系などの2人掛け転換クロスシートでもお馴染みの特急型標準色「青14号」でしたので、そのやや深みのある青色のイメージに合うよう、弊社10系ハネ車等他の表皮シリーズとは異なる濃い目の青色とした上で、夜間に下段寝台となる面の分割ラインに沿って弊社定番の立体感を演出する軽い陰影表現を付加した描画と致しました。
※画像は試作品です(床シールの色調はグレーとなります)
「表皮シリーズ」としては5弾目となる今回の製品も、前回の「オロネ10寝台表皮」同様に、国鉄型電車のインテリアとしては当時珍しかった583系を象徴する木目デコラを配した妻面や扉などの建具類の表情をお楽しみ頂けるよう、それらを描画した高光沢シールを加え、さらに「表皮シリーズ」製品のコンセプトに由来して、出来るだけ内装モールドの生地色を活かしながらインテリアのドレスアップをよりお楽しみ頂けるよう、本製品では床面に貼付けて床色を表現する「床シール」を新たに追加致しました。
前回の「オロネ10寝台表皮」でも、客室中央通路のカーペットや座席間足元・喫煙室床面用にシールを設定致しましたが、コスト上昇を回避する目的で、それらは座席表皮シールや建具類を収めたシールと共取りとなる構成としておりましたが、本製品では583系実車の塩ビ床材の質感に近づけた半光沢のマット紙を新たに採用し、都合3種となってしまうシールのコストアップ分は、1枚分のシールに於ける描画パーツの増量でカバーすることとして、床面専用のシールとして独立させました。
余談乍ら1枚のシールへの描画の配置は、いたずらに詰め込み過ぎますと(経験上も)切出しの効率が悪化致します。パーツの切出しをお客様へお任せを致します弊社「表皮シリーズ」の商品性に係わる問題となり、詰め込みにも限度があるのが現状です。
一方、シール製品といえば接着層から捲り取ることが出来るハーフカット仕様が理想的ですので、製品化以来その可能性を模索し続けておりますが、行程上印刷を施した後にシールのハーフカット工程とならざるを得ない現状では、単色面への施行なら可能でも、弊社製品のような複雑な描画への施行となると、印刷面に多少のオーバーラップを設定するなどしたところで、必要な部分を上下左右に歪み無く高い寸法精度でハーフカットするような有り難い技術には未だ巡り会えていないのが実状です。またハーフカットの工法自体もトムソン型などの刃物でカットする場合は型代が極めて高額でロット的に割に合いませんし、レーザー加工の場合は加熱により焼失や変色といった問題が生じますので見通しが立たず、お客様に切出しの一手間をお掛けする状況は当面続きそうです。
デッキ中妻の色調は薄茶色
※画像は試作品です(床シールの色調はグレーとなります)
583系実車の内装色は、客室がそれまでの電車特急の内装色から変更され、ロネ車に倣った「クリーム9号」となりましたが、デッキや乗務員室等には従来色の「薄茶色」が残されましたので、TOMIX583系製品のクリーム色の内装モールドを「クリーム9号」に見立てることとして、中妻のデッキ面へ貼付ける通路扉を配したシールの地色については「薄茶色6号」近似色とし実車のような変化を付けました。
外観から窓越しに覗き見える乗務員室やサシの(夜行運行時はウエイトレスの簡易ベットとなる)車販準備室・食堂従業員の休憩室となり簡易運転台を備える業務控室の壁面も「薄茶色」としたいところでしたが、周辺のモールドが複雑過ぎて切出しに手間を要する点を考慮し回避しました。
建具類の設定は、先ず外観から確認出来るものであることを優先致しましたが、TOMIX583系製品各車の内装モールドは、実のところ(何らかの事情があったのでしょうが)扉のあるべき位置に机のような凸部が存在していたり、前位の便・洗面所のスペースは車体の受けなどの構造的意図が透けて見えるモールド形状となっているなど、実車と異なる見立てのモールド部分が散見されますので、扉の一部は下部をカットするなどで対応しております。
また、外観から確認出来る位置にあるモハネ582形の乗務員室扉については、接点シューを避ける切欠きの部分が扉の位置に相当するため省略致しました。(サロ581形の乗務員室扉も同じ理由で省略、但し業務控室扉はモールド面になりますのでパーツ化しております)
中妻面の描画構成は、客室通路扉(開戸)の現物縮尺幅と対象のモールド幅がほぼ合致するため幅方向はスケール通りで、モールドの上端を扉の上端に設定し、実際には1/80スケール換算で高さ方向の実車寸で120ミリの不足となりますが、バランスを取りながら違和感の生じない範囲で扉の描画を構成致しました。
また低屋根構造のモハネ582形の中妻面のモールドは室内灯収納のため上部が凹形ですので、該当する描画は他車との差異が生じないよう高さ方向を合わせて上部をモールドの形状に重なる凹形にカットしております。
583系インテリアのハイライトでもある客室中妻面の木目調の色彩は、木目の中では明るめの印象でした実車に近いもので試して見たところ、モールドの生地色に馴染んでしまい余り目立たないことが判明したため、折角のアクセントですので、実車のものより若干濃い目の仕上げと致しました。
床面に貼付けて実車の塩ビ床を表現する「床シール」は効果面を考慮し、良く目立つ客室(サロ581形は食堂部)の床面と(先頭車は異なりますが)貫通部が開いた後位端に位置するデッキの床面用に限定致しました。
サロ581形では通路中央部にカーペット敷きを模した縞模様を、サシ581形では食堂通路中央に実車を模したブルーの帯をあしらいました。
また、乗務員室等が客室空間に取り込まれて特異な間取りとなったクハネ581形・クハネ583形・モハネ583形・サハネ581形については、寝台梯子を収納するスペースが客室内に配置されており、図面では仕切用と拝察するカーテンが描かれていますが、私の記憶ではバンドで束ねられた梯子のシルバーの側面が剥き出しとなっていた印象が強く「こんな所に収納されているのか」と興味をそそられた覚えがあります。狭い空間ですが、扉も無く客室と地続きとなっていましたので、この部分にも床シールを配置する構成と致しました。
※画像は試作品です(床シールの色調はグレーとなります)
その梯子収納スペースは、クハネ581形とクハネ583形では乗務員室の隣りに並んでいましたが、モハネ583形とサハネ581形では乗務員室の隣りはステンレスシルバーの巻上げシャッターが備わるリネン類を収める物置となっていましたので、梯子収納スペースは乗務員室に対面する①③位側の中妻の直前に設置されていて、木目の中妻に近接するためでしょうか、ここに位置する梯子収納スペースの仕切壁のみ木目となっていましたので、この木目面もパーツ化致しました。
※画像は試作品です(床シールの色調はグレーとなります)
サロ581形にはR-27形リクライニングシートを模した赤色の成型品が並びますので、座席表皮の代わりにシートカバーシールを同梱し、客室中妻面に配置する木目のシールには客室通路扉の左右に、前位寄り用に路線図、後位寄り用に広告枠を描画し、前位寄り用には山陽・九州特急仕様と東北特急仕様のものをそれぞれパーツ化致しました。また、全国路線図と数種の広告をお好みで選択出来るよう別途描画しております。
今回583系を「表皮シリーズ」化するにあたり、サシ581形についても手を加えることとし、モールドやパーツの構成から、サシ用には床シールと数種の建具類のシールをパーツ化致しました。
サシ581形の実車には「つばめ」で何度かお世話になりましたが、サロ581形同様に天井の高さは開放感を齎し、(全車で統一された)四隅の下部左右のみに大きなRの付いたフレームの意匠が印象的なベネシャンブラインド内蔵の側窓がモダンにマッチする小ざっぱりとしたインテリアながら、地色の「クリーム色」は後位中妻の透明ブラックの食堂通路扉と同幅のまま上部に延びるブラックパネルや、対面する前位寄り食堂カウンタ上部の飾棚も光沢ブラックのデコラパネル、レール方向食堂一杯に延びる天井中央と床面通路中央にあしらわれたブルーの帯、左右の側窓上部の幕板部に走るサーモンピンク色の帯などのアクセントカラーで引き締められ、ブラックのビニールレザーの座布団が載ったFRP製のオレンジ色の食堂椅子や共色でコーディネートされたオレンジ色の掛時計などと相まって、意外とカラフルで華やいだインテリア空間でもありました。
※画像は試作品です(床シールの色調は通路中央のブルーの面を除きグレーとなります)
※画像は試作品です(床シールの色調は通路中央のブルーの面を除きグレーとなります)
サシ581形用のシールは、前述の通り「床シール」は食堂床面のみとし、TOMIXサシ581形の内装モールドと実車とを比較致しますと、料理室後端の食堂に面する食堂カウンタ廻りの造形が殆ど実車と異なるため、本来は見せ場となるこの部分に於いては飾棚の表現のみとし、また①③位側の勘定台前のパーテーションは実車では上部が透明アクリルですので、シールでの表現は困難と断念致しました。
また実車では、勘定台の下部と、中央通路を挟んで勘定台の対面に位置する②④位側のパーテーションの面は、後位中妻の食堂方の面とともに、両側面の内装地色の「クリーム色」とは異なり白地に薄クリームと灰青色の格子柄をあしらったアルミデコラパネルでしたが、スケールダウンした際の効果が薄く地色との見分けがつきにくいことから採用は見送りました。因に実車の②④位側のパーテーションは、MGの風洞スペースとなっていましたので分厚い箱状で、モールドの形状はこの点に於いても異なります。
従って後位中妻面には、透明ブラックを表現した食堂通路扉のシールを食堂方・通路方両面の中央に配置し、食堂方の面の右肩には、食堂通路扉と上端どうしを揃える高さで扉から3ミリ右へオフセットした位置に掛時計を配置します。(掛時計の位置は、車番によっては扉の上端より高い位置に取付られた車輛も存在しました)
建具類シールパーツとしてはその他に、外観から見通せる観点より、料理室の前位端にある料理室扉、料理室脇の通路にある通路扉(通路方・食堂方の2面)、後位端②④位側の車販準備室の扉(室内方・通路方の2面)、同後位端①③位側の業務控室の扉(室内方・通路方の2面)と致しました。
サシ581形では、食堂椅子についてもなんとかしたいと試みましたが、形状の複雑さから扱い易い製品とすることが叶わず断念を致しましたが、食堂椅子の彩色については、食堂椅子間の足元も床シールで覆う本製品の構成を活かして、椅子のあるゾーンのみを大まかにマスキングして椅子色である「朱色3号」で塗装をした上で、余白の床面を「床シール」で覆い隠す手法を一度試してみたいと考えているところです。
最後に、建具類シールの扉パーツの貼付けについて1点申し上げますと、内装モールドの仕切壁の面には、成型品の宿命である抜きテーパーが必要なことから、どの壁も根元が厚く上に向かって薄い形状となっておりますので、隣り合う壁面などが垂直に立っていないなどの箇所が数多く存在します。
扉パーツを壁に寄せて貼付けるなどの作業の際は、必ずシールの下端を床面に押しあて、床面を基点に垂直に貼り上げる手順をお奨め致します。
583系は「つばめ」「明星」などで、何度もお世話になった思い出深い車輛です。本日は時間切れとなりましたので、昼夜兼行の電車寝台特急として活躍した在りし日の思い出については、また次回のコラムにてお話しを致します。
(2015.09.17wrote) |
|
PageTopへ |
|
|
|
第33話【年の瀬のホームにて】
またまたコラム更新にかかれぬままに気が付けば今年もあと2日と、またしてもあれやこれやとハンドクラフト体制の抱える課題に追われつ脱皮出来ず終いの1年が終わります。
零細メーカーの身と致しまして毎年出来るだけコンパクトを心掛ける迎春準備で昨日三宮へ出掛け、今年はこれが最後となりそうな阪急神戸線乗車のプチ鉄分補給を楽しんで参りました。因に今年のトリは新1000系第6編成でした。
毎度お決まりの先頭車に乗り込むために阪急御影駅のホーム下り方前方へ向かっていると、昨日は澄み渡った青空の広がる穏やかな冬晴れの一日とあって、ホーム中程やや前方寄りにお一人、さらに前端にももうお一人と、撮影を楽しまれる姿が目に入り、私が向かおうとしていたその先のホームに乗客は居らず、そのタイミングで気合い十分に三脚を構える方の画角と私がいつも電車を待つポジションとが重なりそうにふと思えたので「あの辺りで待つけど邪魔になりませんか?」と思わず声を掛けると「大丈夫ですよ」嬉しそうに笑顔が返って来ました。
半世紀程前の「SLブーム」の頃、今で云う「撮り鉄」の一部の暴走が社会問題化した時代を経験しました(お陰で模型に集中する契機となりました)が、なにやら近頃も一部の暴走が顕在化しているのだそうで大変気掛りです。鉄道好き同士の何気ない日常の交流の穏やかな輪が広がればと思う次第です。
「1000系」ネタも然りですが、10系寝台車や583系電車乗車記等、本コラムで現在積み残し中の半世紀前、或はそれ以前に遡り記憶を辿るコラムネタについて、年を跨いでさらにボチボチとなりそうですが記憶が薄れないうちに来年こそはお話しをして参りたいと思います。
ご用命下さいましたお客様を始めとする日頃のご愛顧に感謝を致しまして改めまして厚く御礼を申し上げます。皆様よいお年をお迎え下さいませ。
(2015.12.30wrote) |
|
PageTopへ |
|
|
|
第34話【もう2/3…鉄道模型の力】
創業以来今年は初めて3日まで休業したところ、脱力したツケが災いしたかどうかは別にして、4日以降は相変わらず業務に追い立てられる毎日の繰り返しとなり、気が付けばもう1月も2/3が経過してしまった現状に、元々年末までに出す予定としていた新アイテムの進捗も遅れに遅れる始末と先が思いやられます。
先日所用で久々に梅田へ出掛けた際、会社勤務時代はたまの定時退社の日などにフラリと立寄っていた阪急百貨店内にある阪急電車を始め私鉄各社のスペシャルな完成品でお馴染みの「モデルショップマルーン」へ久しぶりにお邪魔を致しました。
大好きな阪急2000形(敢えて形と呼ばせて頂きます)の登場時の姿を良く捉えたカツミベース4両編成の特製品が目に留まり、惚れ惚れする出来栄えに見入ってしまいました。
手元に所有する阪急電車のモデルは、ロコモデル製の900形・920形・950形の3両ですが、ショーケースに鎮座する2000形を目の当たりにすると、実のところは長年に渡り阪急電車の増備を夢のまた夢として抱き続けて来た事実を再認識した次第ですが、宝くじでも当らない限りはとても手を出せないのが現実ですので、夢たる所以と物欲を鎮め誤摩化すしか無いようで…
モデルを眺めていると、初めて2000形に出会った三宮駅(当時は阪急神戸駅)の光景が思い出されます。自己の生い立ちから類推すると多分昭和36年か37年頃のエピソードだったかと思われますが、親に連れられホームに立っていた私の目の前に佇む待機中の梅田行き特急2000形の正面を、見上げるようなアングルでの姿の記憶が今でも私の脳裏に焼き付いております。初めて目にしたそのスマートな車体の、何にも例え様の無い見た事の無い格好の良さは正に衝撃的でした。
そして程なく出発時間となった2000形特急は、起動直後の異様に野太い低音域のモーター音がしたかと思うや加速とともに甲高い乾いた高音へとリニアに変化して行く力強いサウンドを残し走り去って行くと、その独特で聴いたことの無かった如何にも回転機が頑張って起動している感に満ち溢れた音についてもたちまちの虜となってしまい、2000形との出会いは強烈な印象を刻まれた瞬間となりました。
阪急電車の1000形に始まるカルダン駆動方式を取り入れた所謂新性能化時代の、全電動車化して主電動機を小出力化して定格75kw/hからスタートした電車達は、洗練された印象ながらも大人しく、昭和の初めから神戸線の代表格として長らく活躍を続けた900形・920形の、遥か昔に新幹線電車(0系)を上回る定格170Kw/hという大出力を誇った主電動機と吊り掛け駆動方式が齎す豪快なサウンドを響かせて疾走する姿が私も大好物でしたから、勝手乍らの鉄道好きにとっては物足らずに居たところへ、再びMTユニットへと見直されて(後に登場する0系新幹線電車に肉薄する)高出力150Kw/hの主電動機を備えたカルダン駆動の新性能電車となった2000形に、今にして思えばときめかないはずが無かった訳ですが、今日のVVVFインバータ制御に代表されるパワーエレクトロニクス化や三相交流誘導電動機が主流となる以前の抵抗制御・直流電動機の時代でも、阪急なら2000形の後継として更に高出力化された3000系や5000系といった電車が、2000形のような魅力的なサウンドを奏でていたかというとそうでもなく、個人的に2000形の印象が余りに鮮烈だった背もあるのでしょうが、より一層2000形の独特だったたまらなく耳に心地良いモーター音は忘れられない思い出として記憶に刻まれるに至ったのかも知れません。
職人さんが丹精込めて仕上げたモデルには、眺めるだけでそうした懐かしい思い出を呼び覚ます力が確かに宿るようで、まだまだ至らぬ自身の仕事についても、今一度褌を締め直し精進しなければと気持ちを新たにした次第です。
(2016.01.20wrote) |
|
PageTopへ |
|
|
|
第35話【京都鉄博はさて置いて…色のお話し】
トップページにてアナウンスの通り、この度「月刊とれいん」誌の名物企画「おとなの工作談義」企画にご縁を頂いて、オープン前の先月初めに開催された報道関係者公開日に待望の「京都鉄道博物館」へお邪魔をするとともに、同業先輩の皆様と語り合うという思いも寄らぬ経緯による有り難い体験をさせて頂きました。
いよいよ開業した「京都鉄道博物館」にて見聞した詳細については、5連載に渡るというこの度の記事が全て公開された後に改めてお話をすることと致しまして、この日の体験に因んだエピソードを本コラムのお題と致します。
当日は鉄道模型業界の先輩の皆様方と行動を共にした有意義な一日でしたが、パネラーのおひとりで、多方面でご活躍されている著名なプロモデラー牛久保孝一さんが、持参をされていた色見本帳で熱心に展示車輛の色調をチェックされて居られていて、行動に抜かり無しと全く敬服を致しましたが、自身もデザイナー時代にDICやTOYO、PANTONEなどといった色見本帳には散々お世話になりましたので、見慣れた懐かしい光景として過去の記憶が甦って参りました。
鉄道模型の世界でも実車の色合いを如何に再現するかについての腐心は尽きないところですが、一般的に具体的な色調を定める単位記号としては「マンセル」値が広く知られるところでありながら、色の三属性(色相・明度・彩度)の表現が必要な「マンセル」値は、多分に学術的で融通も効きにくく運用に煩雑さを伴うことから、実際のプロダクトの現場では、前述の色見本帳を頼りに目的とするイメージに相当する色調を作製し、個々のプロダクトの指定色として独自の色調を設定(オリジナルな色見本を作成)し、その色調に独自の色番を付与し生産管理に活かすという手法が一般的です。
ですから皆様お馴染みの国鉄色に「ぶどう色2号」「青15号」といった色名称が付与されているその背景についてもご理解を頂けるかと思います。
戦後のプロダクトカラーマネジメント自体が黎明期にありながら活発化し、次々と産み出された所謂「国鉄色」の出来栄えには常々感心するところでありますが、一説では星晃さんと朋友黒岩保美さんの名コンビによる多大なる貢献の賜物なのだそうで、奇跡的なマネジメントだった点に間違いは無さそうです。
中でもともに昭和33年に誕生した、特急型直流電車(当初)20系の「赤2号」と「クリーム4号」によるツートンカラーと、特急型固定編成客車20系の「青15号」の地色を「クリーム1号」の3本ラインで引き締めるカラーリングは、非常に良く考えられた巧みな色調で誠に秀逸と感じます。
誕生後も長らく引き継がれ、殊に「青15号」に至っては一般客車にまで波及をして行く訳ですが、やや黄味寄りの青色である「青15号」色は、緑豊かな日本の色彩風土に馴染む絶妙な色合いと申せましょう。そして新幹線0系電車で、スピード感溢れるスマートカラーとしてデビューする、赤味の強い青色の「青20号」色が、その後客車の標準色に採用となる展開には、新幹線であればこそ成立する方向性の異なる青色の、在来線の里山の風景から浮いてしまう、どこかバタ臭い色合いに違和感を拭えず、個人的には今でも合点の行かない残念な方向転換でした。
また、色に俟つわるプロダクト観点のお話しとして、釈迦に説法の無礼をお許し願いつつ、押えて置くと何かと役に立ちそうなこととしてお話しを致しますと、色彩には、その色彩が占める面積が広ければ広くなる程、色合いが派手に見えるという特性が内在するという点です。
カラフルな色の扱いに不馴れだった思われる段階で登場したモハ80系電車が纏った元祖湘南色が、デビュー時あまりに派手過ぎたためその後に手直しされたように、手元の色見本での検討の段階で、大きな車体に塗装した際の見え方の変化への配慮が不足していたことによるものと想像の付く、今にして思えば微笑ましいエピソードかと思いますが、スケールダウンする鉄道模型にもこの関係性が介在しますので、実車に使用された正式な色見本に対しては、逆に派手方向への微調整に留意することとなります。但し、カラフルな明るい色・鮮やかな色・光沢のある色に顕著に現れる特性で、ツヤの無い黒や黒に近いダークな色合いの場合、乖離は縮まります。
現実には関係者でも無い限り、実車で実際に使われた色見本に出会うことなど先ずありませんから、冒頭の記述で牛久保さんが実践されて居られた、色見本帳を介在させて先ずは実車の色彩を特定するという作業は重要で、身近で実車と触れ合える「京都鉄道博物館」はモデラーのオアシスにもなりそうです。
(2016.05.22wrote) |
|
PageTopへ |
|
|
|
第36話【弁天町から梅小路へ…京都鉄道博物館】
鉄道模型業界諸先輩の皆様方とご一緒にパネラーとして取材に参加を致しておりました「月刊とれいん」誌の名物企画「おとなの工作談義」の5連載に渡るシリーズが、この度刊行の2016年10月号(No.502号)掲載の第64回「鉄道ワンダーランド京都」にて完結を致しました。
経験の浅い自身にとりましては、業界多方面で既にご活躍のパネラーの皆様からの貴重な刺激を有り難く頂いた上に、普段そうそう接点の無いメディアというフィールドでのモノづくりに立ち会えたという側面もあって、取材を経てどのように発信されるのか?などといった点に於いても興味深く、お陰様で今後もなかなか得難いであろう大変貴重な体験となりました。
改めましてこの場にて恐縮乍ら、パネラー・編集スタッフの皆様へ、大変お世話になりましたこと感謝致しますとともに厚く御礼申し上げます。
特別な経緯も手伝って、いつもの名物「おとなの工作談義」を、今回は多様な視点で毎回楽しく拝読を致しましたが、一方で当コラムの第14話の末文でも少し触れておりますように、個人的には、国内の鉄道博物館の在り方について「産業遺産・鉄道技術遺産の伝承に役立つか?」という点に、平素より著しくモノ足りなさを抱く身でもありますので、取材当日も自ずとそうした観点でのチェックに目が行き勝ちとなり、今にして思えば、予め編集サイドから求められていた「批判より提案型の視点で」のリクエストに十分に応えられ無かった点を反省する次第ですが、折角の機会でもありますので、本コラムにて改めて自身なりの感想を纏めることに致します。
留置線に引き出されていた旧梅小路蒸気機関車館の主役たち…スカイテラスからの珍しい光景
「京都鉄道博物館」取材の当日は、正式オープン前の報道関係者公開日でしたので、残念ながら旧梅小路蒸気機関車館エリアは未整備の段階で立ち入れなかった他、一部の展示が途中段階にあった点についてを先ずはお断りをして置かなければなりませんが、私にとってこれまで最も親しんだ鉄道博物館といえば、小学生〜中学生の頃の神戸詣での度に飽きる事無く足を運んで、そして2年前に「京都鉄道博物館」新設のため閉館した弁天町の「交通科学館」(後の「交通科学博物館」)でした。
つらつら思い返すに可成りのご無沙汰でしたので、これは閉館前にお礼参りに詣でて置かねばと思いつつも時間が取れずに遂に果たせませんでしたが、弁天町は生まれついての鉄ちゃんに多くの気付きを与えてくれたお勉強の場であったことは確かでした。
自身の鉄道模型との係わりは、熊本市在住の小学4年生の時分に時折通っていたプラモデル屋さんの片隅で、数両の鉄道模型とともに売られていたカツミ製ナロネ22形の購入に始まります。
当時のナロネ22形の価格は、月々の小遣い4ヶ月分に相当する1,600円でしたので、高くても500円程度で事足りていたプラモデルとは異次元の大人の買い物で、買ったは良いが続けられるかどうか一番不安でしたし、実のところはナロネ21形が欲しかったのですが鉄道模型屋さん不毛の地とあっては贅沢も言えない…などと、散々迷いつつ半年ほど辛抱して資金を溜め手に入れた次第ですが、その後、お金に自由の効かない学生時代を細々とくぐり抜け、長々と鉄道模型趣味を続けてこられたのも、今にして思えば、弁天町を訪れる度に「鉄道パノラマ」のファンタジックな世界に魅了され続けて来たことが、その一因と言えそうです。
多様な鉄道模型の楽しさに出会って今日にまで至るその原動力は、多彩な仕掛けを繰り出す広大なレイアウト上を、活き活きと駆け巡る弁天町の模型列車達との触れ合いにあった訳ですが、一方のお楽しみであった展示車輛の見学では、後にマイテ49 2として予想だにしなかった車籍復帰を果たすこととなるマロテ49 2がなにより思い出深い車輛として挙げられます。
元を辿れば、特急「富士」用展望車更新のため昭和13年に大井工場で建造された、スイテ37040形2輌のうちの1輌、スイテ37041であった訳ですが、冷房準備工事車であった事とともに営業車輛で初めて床面を絨毯敷とした事でも知られ、戦後は「はと」運用に始まり、車軸式冷房装置を搭載し称号改正にてマイテ49 2を名乗り、「つばめ」予備車の淡緑塗色時代を経て、昭和35年実施の3等級制廃止により、マロテ49 2へと改称された後に「交通科学館」開業に合わせて弁天町にお輿入れした客車として知られますが、残念ながら現役時代に接することなど叶わなかった憧れの展望車ですから、悔しいことに殆ど記憶に無い3軸ボギーのジョイント音はどんなリズムを刻んでいたのだろう?などと、会う度にやたらと想像力を掻立てられておりました。
いつだったかは忘れてしまいましたがマロテの車内に立ち入れる機会があり、果たしてOKだったのか実はNGだったのかも定かではありませんが、今とは違って閑散とした展示車内にて、憧れの展望車の座席にそっと腰を下ろしてみたところ、これまで体験したことの無い、お尻から背中へとフカッと包み込まれるような、えもいわれぬ掛け心地に驚愕した事を鮮明に覚えております。
スイテ37040形のうちのもう1輌の後のマイテ49 1は、戦後に一部の座席の仕様が変更されたものの、マイテ49 2の方は存置されていましたので、私が座ったマロテの椅子は、ほぼほぼ昭和13年新製当時からの仕様と判断してよろしいかと思うのですが、空気バネなど存在しなかった時代の、しかも土木技術者曰く「日本国土の地盤は軟弱、そこに線路を敷設するということは豆腐の上に敷くようなもの」という見識を踏まえた(欧州大陸のような)贅沢の許されない線路規格上での走行安定性を保障する上で不可欠な、(スポーツカーのように)堅いバネを必要とした条件の下で、東海道を往来する優等列車に相応しい快適性の確保を座席の性能に求めたエンジニアの創意工夫に気付かされた次第で、先人の知恵に思いを馳せ学ぶという、博物館ならではの醍醐味を堪能した瞬間と申せます。
因に、マロテの包み込まれるような掛け心地に近いと思われる座席が他に無かったかと記憶を巡らせてみると、幼い頃に神戸ー相生間で一度だけ乗車経験のある並ロのサロ85形から(座席流用のまま)後年に格下げされたクハ85形は、座ると必ず気分の上がるふかふかの座席でしたし、近年では117系新快速電車の(確か0番台の方の)座席が、意外なことにそれに近いふかふか系であった印象が記憶に残ります。
さて毎度の脱線が過ぎますが、京都鉄道博物館では「見る、さわる、体験する」を重視した展示を目指したとのことで、自身の原体験に照らすまでもなく、その方向性は次世代の感性を育てる場としてきっと機能してくれるであろうと期待が高まります。
規模を拡大し「鉄道ジオラマ」と改称されて誕生した立派な16番・HOレイアウトもまた、子供たちを夢中にさせる空間であることに変わりなく、様々に盛り込まれた工夫は「おとなの工作談義」をご参照頂くと致しまして、弁天町から引き継がれたノウハウを活かして、今後、時代を切り取った企画運転などにも対応したいとのことでしたので、オールドファンも、或は親子の会話も弾みそうな楽しい空間となりそうです。
列車が主役の潔い「鉄道ジオラマ」…パネラーとしてご一緒させて頂いた、モデルシーダーさんの信号灯が輝きます。
但しこのレイアウトには、残念乍ら惜しい箇所が1点だけありました。既に気付かれた方も多いのではと想像を致しますが、それはレイアウトと観客席を隔てる透明アクリルの板厚が均一でなかった点で、眺める角度によっては折角のステージが歪んで見えてしまう箇所があり、一瞬興醒めしてしまいます。ファンタジーな物語が展開される文字通りのショーケースなのですから、責めて街中で見掛ける商業施設並の今どきの品質を確保して置いて欲かったところです。
流行に寄る事無くリニューアルを果たした独創的レイアウトも大変魅力的なのですが(立ち入れなかった旧蒸気機関車館ゾーンはさて置いて)今回設定された施設の中では、東海道新幹線・東海道本線・山陰線がぐるりと望める「スカイテラス」と、連絡デッキ脇に位置する「SL第二検修庫」の2つの施設が大変気に入りました。
京都らしく東寺を背景にして、そこそこ飽きさせない頻度で新幹線・在来線の行き交うテラスからの眺めは、実車のライブな迫力を感じつつも、今しがた鑑賞して来たばかりの「鉄道ジオラマ」のアンコールショーのようでもあり、好天なら尚のこと清々しく、そして鉄ちゃんならほっこりと癒される、確実に心地よいスポットと申せます。さらに「SL第二検修庫」では、デッキに面した大きな窓ガラス越しに(動態保存蒸気機関車の拠点となる)本施設の粗方を俯瞰で眺められる設えとなっており、普段の仕業を間近で見学出来るというその大胆なパフォーマンスぶりには正直感動致しました。かぶりつきの少年が運転士に憧れるように、窓越しの検修作業に興味を抱いた子供たちが将来の担い手となるやも知れません。
どちらの施設も、この先の京都鉄道博物館の名所となりそうな予感が致します。
60tクレーンを擁す「SL第二検修庫」…本線運用復活に向けて整備中のD51 200の圧巻の眺め
さてここからは、やや辛口となってしまいそうですが、鉄道博物館にとって集客の目玉とも言える展示車輛についての印象をお話し致します。
先ずは、館内に整然と集結した車輛達の晴れ姿は、ここに至るまでの関係者の皆様の、予算・空間・日程といった制約の中での車輛の選定から展示設営・運営構築と、それぞれの腐心の賜物であることを、鉄道を愛するひとりと致しましても有り難く感謝する次第でですが、良かった点から先に申し上げて置きますと、EF66形電気機関車とDD51形ディーゼル機関車を嵩上げした台座に載せ、ピットよろしく車体の真下から見上げるかたちで床下をまるまる見渡せる展示にした点で、欧州の鉄道博物館で見掛けるこの方式を、以前から羨ましく思っておりましただけに大変に嬉しく、京都特有の埋蔵文化財保護のために掘削の許されない立地にありながらの素敵なアイデアの具現化に拍手を送りたいと思います。
整備士気分に浸れる嵩上げ展示 …床下塗色は黒より灰色の優位性を実感
どこの鉄道博物館でも似たようなものですが、現役を退いた実車の展示に関しては、ある意味致し方ないことと理解も致しますが、例えば大宮の鉄博で「全国で活躍した交直流急行型電車」との解説で展示されているクモハ455-1であれば、外観は確かにそうですが、内装は一部がロングシート化された晩年の近郊ローカル運用時代の姿のままでしたので「これが急行型だったのね」と現役時代を知らない若者の誤解を招き兼ねず、急行列車自体が絶滅しつつある現代であれば尚更の危惧を覚えます。
こうした危惧が、僭越ながら冒頭で申し上げた「産業遺産・鉄道技術遺産の伝承」という、博物館の役割として最も尊重して欲しいと思う常日頃からの願いの由来とするところで、この視点で「京都鉄道博物館」の展示車輛達を眺めてみると、弁天町から移設されたり新たに仲間に加わったりと、いろいろある訳ですが、理想的と思えた筆頭は21形・16形・35形・22形と連なる堂々の0系新幹線電車で、外観・内装ともに、ほぼほぼオリジナルの頃の姿を伝えており、展示車輛としての意義深さを感じました。
久しぶりの対面を致しますと、1985年に新型の100系が投入されるまでの20年余りの長きに渡って、東海道新幹線と後に開業する山陽新幹線の主役として、側窓の小窓化や食堂車の追加などのマイナーチェンジを受けながらも君臨し続けたことが思い出され、当時の新幹線電車の開発姿勢に見て取れる「信頼性の担保された既存技術の地道な積み上げによる(国鉄お得意の)標準化」を見事に成し遂げたお手本ならではの、技術遺産としての存在感がひしひしと伝わります。
弁天町からの移設の際は、収蔵時点からの建屋環境の変化やPCB処理の問題などで大変なご苦労があった事を漏れ聞きましたが、今回持って来れなかった車輛や展示物もある中で(未来技術遺産に指定されては居るものの)よくぞ移してくれたという思いが致します。
ついでに、100系が登場する以前は0系新幹線電車のことを、メディアも鉄道愛好家の間でも0系と呼称する習慣は無かったように思え、同様にご記憶されている方も多いのではと思うのですが、新幹線電車が登場した際、子供心に「車形を二桁の数字のみで表す」という新しい型式称号に驚かされ、開業前に試作されていた試験電車が1000形を名乗っていましたので、当然?1000系になるのであろうなどと予想をしていた、○○系といった系列呼称がどこにも見当たらないことに更に驚かされました。後に「新幹線電車としての完成形なので系列標記は不要とした」という主旨の何かの記事で当時の自信に満ちた開発陣の想いに触れ、全く恐れ入った次第です。
今回新たに加わった展示車輛に話題を転じますと、本館に入り直ぐのスペースで、何れも初お目見えとなる堂々の3輌、500系新幹線電車521-1・583系交直流特急型寝台電車クハネ581-35・489系交直流特急電車クハ489-1が並んで出迎えてくれていますが、クハ489形を481・485系の血統と捉えれば、何れも現役時代に何度もお世話になった思い出深い車輛達だけに、眺めていると様々な想いが交錯して参ります。
博物館での再会…
比較的若い500系はさておき、クハ498形・クハネ581形ともに、以前は特急車輛の象徴とも言えた銀屋根と決別した控えめな姿であることには目を瞑るとして、特にクハネ581形を例に取ってお話しを致しますと、設計当時に将来の分割併合運用に備えて特急電車として初の貫通型とした先頭部の、腐心の造形の重要なエレメントと言える貫通扉カバーが、惜しいことに全盛期の頃のようにピッタリとは閉じられて居らず、オープンまでに手直しされることを期待したものの、開館を伝えるニュース映像を見る限りは改善されていない模様で、貫通扉カバーがしっかりと閉じられていてこそ、1つのパーツでかたち作られているかのように見えて実は2パーツ構成の分割式特急シンボルマークに施された巧妙な細工の(当時の設計者やそれに応えた製造側にも報いた)見せ場になるであろうにと、そして鉄道技術遺産を正しく伝える価値ある展示となるのにと、残念に思ってしまいます。
山陽新幹線岡山開業47年3月改正「明星」増発用「門ミフ」新製配置のクハネ583形…東北縁のクハネ583形の最終増備車4両は暖地向けの顔でした。
クハネ581-35は、ヨン・サン・トオ改正増発用に42年度第三次債務名目で発注された日立製で、昭和43年8月28日に落成し「門ミフ」に新製配属された583系Tnc車の所謂暖地仕様でしたから、タイフォンカバーも元々はスリットタイプだった事はご周知の通りで、私的には馴染みのスリットタイプの顔のイメージがつきまといますが、それはそれとして昨年まで所属していた京都支所からの収蔵ですので、大宮のクモハ455形の如く更新の足跡を生々しく残すコンディションであるのは致し方なく、客席の片列を寝台設営時の状態に、他方を昼行運用時の座席状態とした展示の工夫は歓迎を致しますが、内装に於いて、車輛の特性に鑑み創意工夫の結果として新製時に側窓に内蔵されていた、かつてのお洒落なベネシャンブラインドは既に失われていますし、寝台構造故の車体重量増を緩和する目的で、出入口台扉を二重構造を伴わない折戸とし、同様の意図にて中妻面の客室通路扉も引戸では無く開戸とした際に制作され、その後のニューブルートレイン14系以降の客車にも波及した、簡素なりに秀逸なデザインだったオリジナルの通路扉も更新されてしまい最早目にすることが出来ません。
「リニア鉄道館」に展示されているオロネ10形の座席・寝台表皮が最晩年の青色であることも悲しい現実ですが、単に色調や材質の変化といった表層の変化ならまだしもの遺産の消失を残念に思う次第です。
ご周知の通り、誠に数奇な運命を辿り奇跡的に京都鉄道博物館に収蔵されたヨ5000形5008号についての感想をお話し致しますと、今や貨物輸送の主役となったコンテナ輸送列車の元祖であるコンテナ特急「たから」号専用車掌車に相応しい淡緑3号車体色へのお化粧直は大変に嬉しく思いましたが、間近で観察を致しますと、手ブレーキハンドルの形状は仕方無いにしても、パーツ探しで苦労されたと漏れ聞いた信号煙管については、設置が開始されたのが三河島事故以降の昭和37年からで、その2年後にはヨ5000形車体色の黄緑6号への変更が開始されていますので、淡緑3号色での信号煙管装備の期間は短く、淡緑3号色であれば信号煙管の無い外観の方が相応しかったのではと思うところもありますが、企画展などでお客さんを車内に招き入れての説明アイテムとしては(歴史を伝えることに於いても)有益と言えますので、営業上の必須パーツととあらば止むなしと捉えることに致しました。
ところでこのヨ5008は奇妙なことに「たから」号車掌車の象徴である行灯式のバックサイン本体の色調のみが、何故か黄緑6号色でした。後になって、車体色・バックサイン・床下の色調の違いで、「淡緑」・「ウグイス」・「黒」と変遷した実車の歴史を味わって欲しいとの意図の存在を知りましたが、個人的には無理くりな匂いがして、他にやむを得ない事情があったのだろうなと察するより仕方ありません。
懐かしの「たから」号
何故色違いに…?
弁天町から引き継がれたクハ151形のモックアップを眺めると、やはり美しく、一部にしても往時の雰囲気を伝える力量を感じます。
弁天町には以前581系などの実物大モックアップが結構な数存在していたかと記憶するのですが、改めて、鉄道の歴史・車輛や施設といった遺産を如何に正しく後世に伝えられるかといった観点から致しますと、前述したクハネ581-35やヨ5008に露呈する「あと1歩」の遺産伝承面は、クハ151形が示す通り、クオリティーの確保が前提ではありますが(勿論費用対効果の検証も必須ながら)実車に拘らなくても実物大のモックアップで、或は、色調や仕様の変遷を示すのであれば、京都鉄道博物館に於いても大活躍中のスケールモデルを活用し、ヨ5008を例に取れば、実車を淡緑3号にするなら、後の黄緑6号時代・黒時代の模型を添えてあげるなどの手厚さを求めたくなってしまいます。
「おとなの工作談義」誌面でも、カリスマモデラーの牛久保さんが、弁天町時代からお馴染みの狭軌スピードマーカー「クモヤ93形」のスケールモデルを一押しされて居られたように、展示模型の実力は大したもので、記憶違いでしたらご容赦願いたいところですが、昔、確か弁天町で、内装の天井部分の照明カバーから冷房装置の造作まで作り込まれたモデルを目にした覚えが有り、その伝達力は完璧で実に憧れの領域でした。
室内照明のLED化も進んだという弁天町から引き継がれたスケールモデル達を今回改めて観察してみたところ、座席の造形に使われている素材は、どうやら、容易く安定した形状に削り出せることから、家電のデザイン業務に於いても、デザインモデルの検討用の造形などで重宝されて来た「発砲ウレタン素材」に違いないことを確信を致しました。発砲ウレタンと言っても、一般的に想像されるような弾性は無く、ザラザラの粒子が集積したブロック状の白くて堅い塊なのですが、その素材からノコギリ等で必要なサイズを切出して、各種の刃物やヤスリ類で不要な箇所を削り取りながら意図した造形に仕上げて行くのですが、表面はザラザラの質感ですし塗装も乗りますので、考えてみたら大型模型の椅子の造形には好都合な素材と言えます。
毎度のことながら、スケールモデルにはワクワク致します。
今日のOJスケールモデル市販品の内装の精密化などと比べると、これまで良く出来ているなと感じ続けて来た伝統のスケールモデルの内装も、ここへ来て少しモノ足りなくなって来たのかなと感じたのも事実で、責めて座席だけでも、時代考証に基づいたシートカバー形状へ修正するなどといった、今後のリニューアルに是非期待したいところです。余談ながら、個々のスケールモデルを照らす照明もLEDとなっていて模型が良く映え、更に魅力を増した感じが致しました。
京都鉄道博物館取材という、限られながらも濃密な時間を過して気付いた点は他にも色々とありまして、気侭に書き進めていると切りが無くなりますので、積み残しについては、後々に何かの折りに触れると致しまして、ヨ5000形の仕上げとともに腑に落ちなかった残念だった機関車のお話しと、老婆心ながらの心配な点の2題を纏めて置きます。
新たに収蔵された機関車でもあるEF58形の150号機についてですが、昭和33年落成の東芝製の(仕分け方が色々ありますので、ここでは便宜上)5次型、ご周知の通り生粋の宮原育ち、廃車翌年に奇跡の車籍復帰を果たし、塗色もぶどう色2号に戻されてイベント列車などで活躍をしたお馴染みのゴハチですが、比較的原型に近く、小窓の美しい姿を保っていましたから、保存車輛として理想的と思うのですが、折角の「ぶどう色2号」を何故青15号・クリーム1号の一般色へと、費用を掛けてまでも塗り直したのかについて合点が行きません。
勿論趣味的には一般色も大好物ですし展示された姿も実に美しいのですが、EF58形は、戦後新たに採用された「ぶどう色2号」(但し正式制定発布は昭和34年)という、当時言わば装いも新たな塗色を纏って登場した機関車なのですから、塗装色の選定時にこうした鉄道遺産視点での史実との関係性についての議論が、果たして冷静に成されたのかという疑問が残ります。
他の鉄道博物館に保存されているEF58形の塗装仕様を睨んでの、営業的判断もあったのかも知れませんが、問題と思えるのは、解説パネルが「貨物専用機」の認識で書かれている点で、ご周知の通り、EF58形に貨物専用機は存在しませんし、どうやら晩年の頃の一般色でSGスチームをたなびかせながら荷物列車を牽引した時代のイメージを意図した選択のようなのですが、次位にオロネ24形を従えた展示はそれらしくあっても、P型ならまだしも、誤認の上に塗色の選定に趣味的志向が透けて見えてしまうというのは、あまり気持ちの良いのもではありません。
今やネット上に「ぶどう色2号」は戦前の鉄道省の時代から続いた色などという、誤った記述を見掛ける時代ですので、鉄道博物館こそ史実を正しく伝える場であって欲しいと願う訳ですが、細かい事で恐縮ながら、取材当日はまだ準備中のものではありましたが、館内の一角に立て掛けられたパネルに20系ハネ車の座席と中段寝台を取付けて、寝台車の仕様を紹介するコーナーがあったのですが、そこに掲げられた印刷済みの説明文が「二段寝台」(但し「三段寝台」へ訂正する旨が指示された付箋は貼られていました)となっていたり、下段寝台背もたれ脇の懐かしい寝台灯の向きが天地真逆で取り付けられていたりしていましたので、帰って早速に同級生のJR西関係者に次第を伝えて置いたのですが、弁天町から引き継がれた伝統を下地に、JR西日本ご担当の皆様は勿論のこと、交通文化振興財団の特に学芸員の皆様の今後の頑張りに期待したいところです。
現状、博物館法の要件を満たした鉄道博物館は存在しませんし「おとなの工作談義」誌上でグリーンマックスの嶽部さんがお話されていた「英国国立鉄道博物館のリクエストに応えたJR西日本が新幹線電車の寄贈で対応したところ、新幹線システムを展示したかったのに…」というエピソードが物語る日欧の鉄道博物館の間に横たわる意識の差を、文化の違いで済ませたく無いという思いが致します。
一通りの見学を終えての感想としては、やはりテーマパークであるという一言に尽きるかと思う訳ですが、それは決して悪い意味では無く、旧梅小路蒸気機関車館も取り込みましたし、珍しい取組みとして営業線と繋がる展示引込線を設けてみたりと(個人の期待するところの理想の話しはさておいて)将来に渡って伸びしろのある鉄道をテーマとした立派で心躍る施設であることは確かです。
更に、現状最も意義深いと思うところとして、ここへ遊びに来る子供達ひとりひとりの素敵な原体験が、将来に渡って鉄道を身近に感じ親しむ日常へと向かう契機となれば、鉄道利用人口減少の見込まれるこの先の防波堤としての存在意義を感じる次第です。
取材時に立ち入ることの出来なかった旧梅小路蒸気機関車館エリアには、是非また改めて訪れてみたいと思いますが、鉄道100年記念事業として開館して間もない頃、早速に出かけたことが懐かしく思い出されます。
計画時は全17形式を動態保存するという触れ込みでしたので、なんと言っても微かな記憶でしかないC53形のワルツに例えられる3気筒サウンドがいよいよ聴けるのか!と、大いに期待をしていたのですが、ジリ貧のお家の事情も手伝って蓋を開けたら話が違っていて、つい2年前まで呉線を元気に走り廻っていた私の愛して止まないC59形の164号機までもが冷たくなっていたのには本当に参りましたが、今や全国各地でのSL復活が集客に繋がる時代となりましたので、ここは梅小路さんと颯波さんに是非頑張って頂いて1型式でも多くの動態復活が実現するよう、切に祈りたいと思います。
(2016.10.02wrote) |
|
PageTopへ |
|
|
|
第37話【今年を振り返り…】
今月の発売を告知しておりました新製品「インテリアパネルキット スロ62」でしたが、予定のロットが確保出来ないままに年末を迎えてしまい、止むなく来月に持ち越しと致しました。
行きつ戻りつしながらでも何があろうと事を前へ進められるソリューション能力とスピードが身に付いて居てこそプロフェッショナル!と、常々思う自身の相変わらずのヘタレ加減に憂鬱な年の瀬を迎えております。
今回の「スロ62」は、元々は弊社の新製品計画には含まれていなかったものですが、以前より度々ご用命を頂いております或るお客様のご要望にお応えするかたちで、特注の一品物を拵えていたものを、この度レギュラー製品にラインナップ化させて頂くものです。
特に積極的に告知はしてございませんが、弊社製品をご用命下さいましたお客様より、稀に特注のご相談を頂くケースがあり、零細メーカーにも係らず平素よりご贔屓にして下さる大変有り難いお客様のお手伝いが出来ればと(勿論、出来る事には大幅な限りがあり、内容によってはお断りをせざるを得ない事例もございますが)可能な限りお応えする方向で検討をさせて頂いております。お気軽にお声掛け下さいませ。(※参照)
※ご相談につきましては、基本的に弊社製品のお買い上げ実積をお持ちの(製品の特性をご理解頂いている)お客様に限らせて頂きます。
※制作に必要な場合に限り、お客様所有の車輛モデル等の現物を一定期間お預かりするケースがございます。
※日程・費用は都度ご相談となりますが、ひとつの例として「インテリアパネルキット」で既存製品同等の内容で(後のレギュラー製品化についてご了承を頂ければ)既存製品とほぼ同レベルの費用とお考え下さい。
いつもの事ながら今年も製品製作に手一杯で、私的な模型弄りからは遠ざかり、コラムの更新も侭ならない、気が付けばあっと言う間の1年でした。
(本コラムの第29話でもチラとご紹介をしております)京都の「デゴイチ」にて、定期的に開催をされるお客様の運転会にも、度々のお誘いを頂戴しながら結局一度も参加出来ず終いで、それほどに運転の機会が無くなりますと(長らく模型と係りながら、不覚にも今年初めて知ることとなる)動力車に起こり得るというトラブルについて、釈迦に説法のご無礼をお許し願いつつ、ご参考までに以下にご紹介申し上げます。
ここではメーカー・機種等の詳細は敢えて省きますが、減速の最終段でアクスルに圧入されているウォームホイールギアの素材が(ジュラコン等に代表される)エンジニアリングプラスチック製で、そのウォームホイールと噛み合うモーターからの入力軸にある円筒ウォームが金属製である場合、長期間静止したままですと、ウォームホイールの1点に集中して圧力がかかり続けることとなり、応力に耐え切れなくなりギヤ割れを起こして走行出来なくなるという、蒸機・電機など機種を問わず同様の方式であればどれにでも起こりうるという厄介なトラブルです。
最初にトラブルを起こしたのは購入して5年程が経過した製品でしたが、その後同じ方式の動力車に次々と発生致しました。
会社勤務時代は少なくとも2週に一度は組レールを敷いて運転を楽しんでいたペースが、起業とともに激減し殊にここ数年は個装箱で眠り続ける状態でした。大事に仕舞っていたのにと何故?と最初は理不尽に思いましたが、原因を知るとなんとも合点の行く事象です。
一般に略して「エンプラ」と称するエンジニアリングプラスチックを素材としたギアパーツは、耐摩耗性能が高くオイルフリーでメンテナンスに有利ですし、軽量化にも寄与することから家電製品でも重宝されて、私が勤務しておりましたメーカーでも、金属製のギアから積極的に切替えられた時期がありました。
まだエンプラが高価な時代だったにもかかわらず、ギアというギアが一気にエンプラに切り替わる様に随分と驚かされたことを記憶しておりますが、今にして思えば「エンプラと金属の併用」に懸念されるトラブル回避のためのエンジニアの配慮の結果だったのかと、妙に感心した次第です。
手元にはもう半世紀近く前の製品ながら今でも元気に走り廻る機関車も居りますし、現状改善されているのかは知りませんが、近隣アジア製樹脂グレードの品質の曖昧さを体験しておりますだけに不安で仕方無く、ただでさえ耐久性に乏しい鉄道模型の駆動系なのですから、次はどの動力車が潰れるのかとヒヤヒヤするのも難儀な話しで、責めてウォームギアについてはオール金属製に戻して頂けると有り難いと切に願う次第です。
さて今年は同級生が皆還暦となる中、早生まれの私もいよいよ来年は還暦ですので、次回のコラムは、これ以上に記憶が薄れない内に乗車体験ネタを、先延ばしにしておりました583系あたりで纏めてみようかなと思いつつ、今年最後のコラムの〆と致します。
改めまして今年1年間のご愛顧に感謝を致しますとともに厚く御礼を申し上げます。来年も何卒よろしくお願い申し上げます。
皆様よいお年をお迎え下さいませ。
(2016.12.31wrote) |
|
PageTopへ |
|
|
|
第38話【インテリアパネルキット スロ62発売に寄せて】
年末のコラムで「次回のネタは583系乗車体験」と申し上げておりましたが、遅れておりました新製品「インテリアパネルキット スロ62」がようやく発売となりましたので、今回は本製品関連ネタと致します。
皆様ご周知の通りスロ62形は元を辿れば昭和26年から31年にかけて1052輌製造された鋼体化改造車オハ61形に遡り、その後の昭和34年から37年にかけて111両が長野工場にて(当時の夜行急行列車編成に於いて、余りの人気に増備の追いつかない状況にあったハネ車の代役としても機能した)特ロ車への改造を受けオロ61形となり、更に後の「昭和43年夏までに急行型1等車完全冷房化」の大号令の元、昭和42年から43年にかけてオロ61形の99両に冷房装置を搭載し「スロ62形」を名乗るに至りますが、自身にとって馴染み深い急行列車のロ座車といえばスロ54形であったりオロ11形ですので、正直に申し上げて若干実車に疎いところからの開発のスタートとなりました。
前回のコラムで触れました通り、本製品は元は弊社新製品の計画上に無かった特注品でしたので、ご依頼のお客様の思い出・原体験の具現化と、可能な限りの史実検証を合わせてレギュラー製品への落とし込みに注力致しましたが、結果的に特注品から変更する箇所は発生せずにレギュラー製品へと移行し、改めて鉄道愛好家の皆様が模型での再現に向き合う際の、個々の思い入れに深く刻まれた印象の強さや正確さを実感する次第です。
製品内容は基本的に「ナロ10」「オロ11」などの従来品の仕様を踏襲致しましたが、ロ座車への改造の際に種車オハ61形の窓配置を受入れて調整された結果により生じたスロ62形特有の1270ミリという広大なシートピッチの客席配列を再現した他、スロ62形の座席はオロ11形などに比べ若干側窓から内寄りに離されて設置されていますので、その点も考慮した取付位置とし、座席はツヤ消し塗装仕上げ、シートカバーは全盛期に多く見られた四隅にRの付いた軽快なエプロンタイプと致しました。
スロ62形内装の、その改造遍歴を背景とした幕板の上部押縁(廻り縁)はオハ61形時代からの流用・オロ61形改造の際に前位に設けられた洋式便所の扉は珍しい開戸・前位洗面所はハネ車同様にレール方向に向いているなどの特徴を再現するとともに、冷房改造の際に配電盤設置のため撤去された後位の荷物保管スペースに、元々存在した冷水器(飲料水タンク)を対面の乗務員室扉の戸袋部分に移した結果、乗務員室の出入口幅は500ミリに狭まり、車掌机とともに位置を反転させた戸袋の有効長も400ミリ強と明らかな機能低下に陥ったためか、乗務員室扉を撤去し(ご依頼のお客様のご記憶にも残る)巻上げ式のロールスクリーンで仕切る仕様が出現しており、色々と調べておりますとスロ54形にも同様の改造か認められますので、側窓から内部が見通せる模型的なメリットも狙い、ロールスクリーン仕様の出入口を再現致しました。
この他に、乗務員室には定番の車掌机と椅子に加えて本製品では身だしなみチェック用の小鏡を、また乗務員室隣りの洗面所には鏡の他に通路仕切の部分に存在しダイヤカットガラスが嵌め込まれていた明かり取り用小窓も追加致しました。(尚、前・後位の洗面所はともにカーテン撤去後の姿となります)
特注品制作の段階で、ご依頼のお客様よりお預かりを致しましたフジモデル製「スロ62」モデルは、床板を特注のアルミ製とした軽量化が図られており、スロ62形であればインジェクションモデルも手に入る今日、私より先輩のシニアマイスターのブラスモデルに懸ける心意気が伝わります。
開発を進めるうちに試作したパーツの具合などを検証する場面が想定以上に増大したため、結局リスク回避のためにと六甲模型様で試作用に「スロ62」モデルを1輌調達した関係で、本サイトの製品ページに登場致しますスロ62形は、軽く素組をしただけの当該モデルに本製品を組込んたサンプルとなりますので、車輛の佇まいとしてどうもモノ足らず、特注品ご依頼主様が仕上げられたモデルのお写真を公開出来ないかと、今回駄目元でお願いを致しましたところ快くご承諾を頂きましたので、以下にご紹介申し上げます。
【名古屋市 N様作品】
※画像をクリックすると拡大表示されます。
←1-3位側の全体像です。
学生時代に上野駅でサボ掛けのアルバイトのご経験をお持ちと仰るご依頼主様の選択は上野口の華、急行「十和田」で活躍
した「北オク」の2074番です。
デッキ扉への金色に輝く把手の追加や床下パーツの追加・パイピング、高品質な標記類パーツの選択、ユニットクーラーグリルや足廻りへのウェザリングなどカスタム感満載です。
画像では少し分かり辛いかと思いますが、幕板部分にハンドメイドの網棚パーツを装着されて居られます。現行のパーツは試行錯誤の末に辿り付いた一応の着地点で、今後も手法や材料などの改良研究を継続するご予定とのことです。
←肘掛けカバーを表現した色入れを追加された座席、窓越しに特ロシートの存在感が引き立ちます。
室内灯はIMON製のキャパシタ付き室内灯を装備されて居られます。組込みに際し中妻パーツ上端が干渉したため下端を2ミリ程カットされたとのことで、スロ62形はオロ11形に比べ、屋根Rが浅い分、中妻パーツから天井までの空間に余裕が無く、おまけに屋上ユニットクーラーの取付足の凸起が天井から飛び出しますので、製品開発時、自身は天井空間を確保するために取付足をカットした上で装着したのですが、取説への記述の際に本件の但し書きを省いたまま室内灯収納のクリアランスを約4.2ミリと記述致しましたことが、お客様に少なからずの混乱を招いたものと反省する次第で、ご本人様にお詫びを申し上げまして取急ぎの対策として「製品」ページに但し書きを明記致しました。
←後位妻面のアップです。
電暖ボックス・吊り棒・幌枠・渡り板・ステップ・工場銘板などなどお気に入りパーツの追加と標記類で彩られた電暖仕様の妻面は見応えがあり、端梁に至っては現状エコーモデルさんにも専用品が無く難儀を致しますが、エコーさんの「61系用」と「改造車用」を組み合わせた逸品で、カプラ・ホース・電暖ケーブル等も抜かり無く圧巻の仕上がりです。
少し分かりにくいかと思いますが、デッキ中妻パーツの扉近くに手摺が追加されていて、提供者として素材を存分にご活用頂く様に感謝を致しますとともに、懐かしいアイテムの具現化には鉄道好きの趣味人としてもとても嬉しくなってしまいます。
←1-3位側、後位方向のカットです。
幕板押縁に添えられたLアングルで網棚が保持されている様子が伺えます。東の車と分かる「北海道」「東北・上信越」路線図が旅情を醸します。
←前位妻面のアップです。
妻扉窓の「グリーン車」インレタ標記が効果的です。後位妻面同様の仕上がりです。
前位のサボ受けには「十和田」と、国鉄内規の前位は「列車名」後位は「列車種別」とする規定通りに仕上げられて居られます。
ついでながら(既にどごかで申し上げていたやも知れませんが)編成を組んだ際に史実組成の向きによっては「列車名」或は「列車種別」同士が隣り合うケースが生じますが、この状態が個人的にはどうも受け入れ難く、実車に於いても必ずしも規定通りに運用されていなかった史実を盾に、自身の模型制作に於いては、下り方を基点にして編成を組成した時に「列車種別」の次は「列車名」と交互に連なる配列となるように敢えて仕上げております。
製品ページに掲載しております「ナロ10」「オロ11」画像のサボの配置が規定と異なるのはその理由に寄るものである点をお断り申し上げます。
ご紹介は以上です。ご参照下さいまして新製品「インテリアパネルキット スロ62」をご検討下さいますよう、よろしくお願い申し上げます。
次の予定製品は、最も長くお待たせを致しておりますいよいよの「オシ16」ですが、またしてもスケジュールは押され気味で、3月発売が危うくなって参りました。開発を急ぎます。
(2017.02.08wrote) |
|
PageTopへ |
|
|
|
第39話【水戸岡デザイン】
昨年同級生が次々と還暦を過ぎる中、早生まれの自身も先月遂に還暦を迎えましたが、40歳・50歳の区切りとは何か異なる特別な心持ちが致します。リストラされることなく会社勤務を続けて居られていたら(誕生月が定年となる組織でしたので)やれやれの達成感を噛み締めての今が一番楽しいひとときを過せて居たに違いありません。
ボヤキはほどほどに、ようやくの新製品「インテリアパネルキット スロ62」を発売致しましたところで、中断していたオシ16形インテリアの製品化業務へと移行して居りますが、個人事業者の泣き所とでも申しましょうか、予期せぬ事案に事はなかなか予定通りに進まず難儀な日々が続きます。
起業以来、休日も侭ならない生活をしておりますと、仕事以外での外出は激減し、良く遊んで貰っていた仲間との交流も疎かとなる一方なのですが、年に何度かは集まっていた関西在住の中学時代の同級生の仲良しさん達から先頃「蟹ツアー」へのお誘いを頂いて、毎度の飲み会も都度断らざるを得ない状況が長らく続いて随分と不義理を致して居りましたこともあり、ほぼほぼまる一日潰れる覚悟を決めて先月の或る日思い切って参加をして参りました。
関西圏の冬の楽しみと言えば、なんと言っても日本海の松葉蟹で、会社勤務時代の最初の赴任先が「北条鉄道」でお馴染みの加西市にある工場でしたので、毎年決まって忘年会は、定時で仕事を切上げると北へ向けてクルマを飛ばし、網野・浜詰の民宿で獲れたての松葉蟹を堪能しておりました。
忘年会で日本海の蟹の美味しさに目覚めると、プライベートでも家族を連れて何度も訪れましたが、娘も小さかったですし家族連れとなるとやはりアクセスにはクルマが便利で、そのうちに世間でバスツアーが人気となるとJR西も負けじと「かにカニエクスプレス」を設定し、鉄道好きにとりましても冬の風物詩となる訳ですが、播但線経由のキハ181系「かにカニはまかぜ」に何度かお世話になったくらいで、個人的に利用する機会は稀でした。
この同級生グループとは、自身が会社勤務の時分に2度ほど蟹ツアーに出掛けて居りますが、メンバーの中に(本コラムでも何度か書かせて頂いたことのある)鉄ちゃんにしてJR西関連会社取締役の友人が居りますので、今回も彼がアテンドしてくれたお陰で久々の列車旅となりました。
出発前に彼に往復のチケットの件を尋ねてみると、往路は京都ー夕日が浦木津温泉駅間を5085Dの特急「はしだて5号」、復路は豊岡ー京都間を5012Mの特急「きのさき12号」と、行きは京都丹後鉄道(北近畿タンゴ鉄道)のKTR8000形気動車「丹後の海」車輛、帰りは183系の老朽化置換えで誕生した新鋭287系直流特急形電車と、本人は意識してオーダーしていなかったようでしたが、如何にも鉄好みの選択に感謝した次第で、特にKTR8000形「丹後の海」車輛は例の水戸岡鋭治さんデザインのリニューアル車と、自身にとって初体験の水戸岡デザイン車輛となりますので、デザインの視点からも平素からハテナに感じていた点などを色々と検証したく、また287系に於いては、言わば現代の特急用車輛としての仕様が如何なるものなのかについて、JR西日本が今日考えるところの解答に触れられるであろうと、出発前から舞い上がっておりました。
私が水戸岡鋭治さんというデザイナーの存在を知ったのは、まだ彼が鉄道の仕事に進出する以前のことで、部内で定期購読していたデザイン雑誌の(何分にも古い話ですので曖昧な記憶ですが)JR九州が手掛けたホテルの宣伝ポスターのイラストを紹介した記事か何かで、作者の水戸岡鋭治さんと彼の率いる「ドーンデザイン研究所」の存在を知り、珍しい姓が印象に残っておりましたので、JR九州での活躍が始まりますと、すぐにあの記事の方とピンと来た次第です。
全国の車輛や関連施設など、手掛けた仕事を確実に商機に繋げて世の中にビジネスモデルを知らしめたばかりか今やブランドを確立した感のある水戸岡さんですが、デザインビジネスの視点から申しますと、デザインの仕事とは、水戸岡さんのような個人事務所を構えた独立デザイナーにしろ、自身が経験したインハウス(企業内)デザイナーにしろ、仕事にありつく(実現する)ためにはある意味パトロンの理解があっての話しですので、先ずは水戸岡さんを活かしたJR九州の唐池(現)会長のプロデューサー能力を讃えたくなります。
以前にも本コラムで少し触れていたかと思いますが、デザインという仕事は単に色や形を好き勝手に具現して行くような仕事ではありません。
モノ作りに於いて、その上流域に位置する企画や構想に参画し、具体的に決められたコストを踏まえ、エンジニア及び後々に渡ってそのモノに係ることになる全ての部門と協調しながら、尚かつユーザーの手に渡った時のことを想像しながらデザインを進め、下流域に至っては出来上がったモノが意図通りに仕上がっているかの確認にまで責任を持つのがデザインの仕事のあり様ですので、例えば仕上げの美しさで定評のある近畿車輛さんのデザイン部門は、即ち組織の中で上手く機能していることの証と申せます。
今申し上げた仕事の流れは、映像や印刷媒体などに係るビジュアル・グラフィックデザイン、ファッションデザイン、建築・インテリアデザイン、自身の係った家電などの工業・工芸製品を対象とするプロダクトデザインも勿論ですが、デザインを施す対象の違いこそあれ根本的には同じことで、要は対象がどのように機能するかを見据えてデザインするかが肝要となります。
また、使い手である人間と、使われる側の製品機能との架け橋となることもデザインに求められる重要な役割で、建築やインテリア、ファッションでもそうですが、デザインを進めて行く上で、特に(工業デザイン・インダストリアルデザインとも称される)プロダクトデザインでは、軽んじてはならない前提として仕事を進めますので、構築されていくデザインの素材や色や形は必然的に意味を持つことにもなるという(デザイン史的には「機能主義」と称される)メカニズムを常に意識することとなります。
その点、水戸岡さんというデザイナーはやや毛色が違っていて、マスメディアでは「工業デザイナー」として紹介されることの多い水戸岡さんご自身も「僕はイラストレーター」と仰って居られるように、プロダクトデザイン的思考が希薄であることが手掛けたデザインに見て取れます。
少し余談になりますが、早期退職する少し前の3年間ほど、デザイン振興財団に出向してデザインコンペの運営やビジネスマッチングなどのお仕事をさせて頂いた時期があるのですが、その間に事業の関係で著名なデザイナーの方々との交流もあって、鉄道関連で言えば(長らく鉄道界のデザイン力向上に貢献した実務経験のある有識者集団)T.D.O(Transportation design organization)のメンバーでご自身も鉄道ファンと知られる木村一男さん、後にJR東日本に関わることとなる元ピニンファリーナの奥山清行さん、言わずと知れた戦後日本の工業デザイン界を牽引したGKデザイン機構の田中一雄さんなどとお会い致しましたが、残念ながら水戸岡さんにはお目にかかれず終いでした。
また数々の著書についても、水戸岡さんが該当するという話しでは決してありませんが、何も無いところからのあるべき将来像を導き続けなければならないデザイナーの職業柄とでも申しましょうか、数値によって物事に解答を示す事の容易なエンジニアと比べると、デザイナーは交渉事などで話しを盛る傾向にあると常々思うところがありまして、そこで慢心が過ぎるとその延長上に起こりうる(詳細は敢えて申しませんが)行き過ぎの言動を実際に目の当たりにする経験からなのか、どうもこの手の著述に懐疑的な自身のためもあって、まだ水戸岡さんの著書にも目を通したことがありませんので、今回はあくまでプロダクトに触れて自身が受取った印象を軸にお話しを進めます。
前置きが長くなりましたが、旅行当日は早く実車を見たいと集合したメンバーを嗾け、早々に31番線ホームに移動して缶ビールで乾杯し待機していると、通常の4輌から堂々の6輌に増結された「はしだて」「まいづる」がやって来ました。
前の週、沿線が記録的な大雪に見舞われた影響なのか、ご自慢の蒼い車体は可成り薄汚れていて風雪の仕業と思われる細かいキズが目立ちましたが、リニューアル前の水色とホワイトのツートンカラーの車体色から致しますと随分と引き締まって見え、柔らかい独特の車体形状の放つアクも緩和された印象で悪くありません。
京都駅31番線に入線したKTR8000形「丹後の海」車輛の特急「はしだて」「まいづる」…よく見るとホーム床面に「瑞風」のプレートが…
水戸岡さんのアイデンティティーとも言える、単色の地色にロゴやサインなどのアクセントカラーをあしらうカラーリングについては、個人的には方法論として理解は出来るものの、これだけ水戸岡デザインがもてはやされると若干の飽き(陳腐化)を感じつつあるのも事実で、昭和30年代のデザイン黎明期にありながら、標準化が大前提に置かれた背景があったとは言え、熟慮の上に確立された国鉄カラーの優秀さを改めて感じざるを得ないのですが、さらにお手本にされたという当時の欧州など海外の車輛のカラーリングと見比べてみても、さほど劣る印象が無いのが不思議なところで、では水戸岡さんのカラーリングがどうかと言えば(偉そうな事を言える立場にありませんが、敢えて申し上げると)ロゴのデティールであったり、配置の間の取り方であったりなど(敢えてなのかもですが)幼く、やはり現代の欧州に見られる車輛のカラーリングの方に遥かに「大人」を感じます。
KTR8000形「丹後の海」車輛の正面に廻ると、ゴールドのロゴマークや丹後の山並みを連想させられる緩い弧を描いたラインなどと共に、左右のライトケースの上部の縁に添って金色のモールが追加されていたり、種車から引き継がれた贅沢な機構の貫通扉カバーの窓下中央には「丹」の文字をあしらった卵形のエムブレムが目立ちますが、プロダクトデザイン的な思考ではライトケース上部に別付けされたモールには、例えば水切りの機能でも備わっているのかな?などと思いたくなる訳ですが、モールもエムブレムも純粋に装飾で、水戸岡さんの代表作とも言える「ななつ星in九州」を牽引する電気式ディーゼル機関車DF200形7000番台の正面窓下にも、似たようなデザインの(大ぶりで)やたら目を引くエムブレムが取付けられていますが、このエムブレムも単に装飾パーツですので、(ご覧になられた方もいらっしゃるかと思いますが)「ななつ星in九州」の特集を組んだTV番組で放映された、鉄道ファンでもある自民党の石破茂さんがこのエムブレムを指差して「ここは通風口ですか?」と傍らの水戸岡さんに尋ねたシーンで、水戸岡さんの「いや飾りです」との解答に微妙な表情を示す石破さんには、こちらも思わず苦笑してしまいましたが、この後に続いた水戸岡さんの「昆虫みたいで面白いでしょ?」「子供達の興味を惹くのが狙い」と取付けた理由を語った発言に、実は水戸岡デザインに内在する企みを感じます。
「丹後の海」の元ネタ・北近畿タンゴ鉄道時代の城崎駅に憩うKTR8000形
水戸岡さんは私より10年先輩の所謂団塊の世代の方ですが、まだ世の中が貧しかった時代に国鉄・私鉄を問わず技術革新によって次々と登場した昭和30年代以降の車輛の姿は実に輝いていましたから、鉄道ファンでは無いと仰る水戸岡さんも、子供の頃はきっと山陽本線を駆け抜ける列車の姿にワクワクした一少年だったに違いないと思うのですが、人口減少により先細りとなることが明らかな鉄道輸送事業の未来に対して、未来の大人に素敵な原体験を提供することで鉄道に親しみを持つ人生に導きたいとする水戸岡さんの提唱は、事業者にもわかりやすく刺さるだけに流石に認めざるを得ません。
さて、入線した「はしだて」「まいづる」は折り返しの運用でしたので、乗客の降車が済むと入れ替わりに車内清掃員が(新幹線電車と比べてみても)結構な人数乗り込んで作業していたにもかかわらず、車内整備が完了するまでには10分近くを要していました。
水戸岡さんの凝ったデザインは、こうしたメンテナンス面に対しては弱点に作用するのは明白で、弱点の克服は現場に頼らざるを得ない側面は、クルーズトレインのような収益性の高い商品に対しては無理を利かすことが出来ても、定期運用の特急列車に同じ図式を当てはめるのは如何なものかと危惧していた通り、車輛の玄関とも言える乗り込んですぐのナラ材を使ったデッキの床面には既に黒々としたシミが残っていました。車番は8004で、最初に改造されたのが8011・8012のユニット、続いて8001・8002が2015年の年末に間に合うよう施工されたようですので、それ以降の改造だったとすると、就航して1年ほどの経年になるのでしょうか、劣化の早さを残念に思います。
シミ跡が残るナラ材仕上げのデッキフローリング
車内に入るとグループ旅行のお約束で指定席は向かい合わせにセットすることになる訳ですが、元々1050ミリと余裕のあるシートピッチのお陰で膝元の窮屈さは無く座席の座り心地も快適でした。
以前より雑誌等の情報で把握して気掛りだった件なのですが、2人掛け座席の中央に改造前から備わる肘掛けの上面に、新たに追加された(形状の異なる2種類の)木質小テーブルの使い心地は如何なるものか?果たしてこの出っ張った形状で問題無く座れるのかと、気になって仕方の無かった設えをいよいよ確認しようと、メジャーまで用意して乗り込んでいたのですが、なんと木質感のみを継承し袖仕切同様の普通の肘掛けに戻されていました。
小テーブルから「肘掛け」に戻された中央肘掛け
車椅子対応席
因に1座席分の巾(袖仕切から肘掛けまでの内寸)は440ミリでした。2種類の形状の異なる小テーブルと申しましたが、何故2種類にしたのかと言うと、前方に向かって広がる扇形タイプと前後の巾が同一で中間あたりが一番広い俵形タイプとがあって、体型に応じて選択出来るよう2種類の形状を用意したのだそうで、その無茶と思える着地点が正直腑に落ちないポイントでした。
計った寸法からしても少なくとも片側30ミリは突出していたであろう小テーブルを、肘掛けに固定設置するには無理があり過ぎることを実感し、撤廃されていたのは当然の対応と思います。
つらつら振り返るに自身にとっては本当に久々となる気動車乗車で、席に落ち着くと袖仕切にある小テーブルを引出し早速に酒盛りが始まる中、発車時刻を迎えた「はしだて」「まいづる」はDMF11ZF系コマツ製エンジンの高鳴りと共にスルスルと走り始めますが、起動の瞬間前後にギクシャクすることもなく、新幹線電車級の滑らかな走り出しには驚かされました。
2輌のユニット間は永久連結器・両端は(183系との併結時代を物語る)密着連結器、当日は6輌編成でしたから3ユニットの組成、全動力車という好条件とは言え(たまたまなのかと疑ったものの途中駅での発車時も同様で)、ひょっとすると自身が浦島太郎なのかも知れませんが、それにしてもショックが無いのはお見事でした。
優等列車クラスの気動車体験はキハ181系以来と、やはり浦島太郎と化していた自身は、エンジン回転数の増大とほぼほぼリニアに同調しながら加速していくKTR8000形の走り味に、流石に今時を感じます。
歴史を振り返ると、気動車革新の鍵は、機関の改良も然ることながら自身の大好物であるキハ82(80)系特急型気動車を例に致しますと、キハ60形での多段直結式液体変速機の実用化さえ叶って居れば、非力なDMH17H型エンジンに頼ることも無かったであろう史実が物語るように、変速機の開発にありと常々思うところですが、自動車のオートマチック・トランスミッションの革新を見るまでもなく、今日の変速機の出来の良さにつくづく感心する次第です。
ここまでに至ると、動力伝達効率の優秀なデュアルクラッチトランスミッションを経由したディーゼル機関の走行を体験してみたくなりますが、内燃機関は発電に徹して動力は電気モーターという時代に向いそうで、自身の原体験として色濃く残るDMH17系列エンジンと振興製TC2系列などの液体変速機を組み合わせた気動車の、変速段でノッチが入るや急激なエンジン音の高まりに徐々に車速が追いついて行き、加速が乗ると、会話も聞き取れないくらいの騒音から一転の静寂とともにジョイント音が浮き立つ中、今度は直結段でのやや鈍いエンジン音とともに更なる(時間制限付きの)加速が始まるといった、ザ・気動車の走りも昔話しとなってしまいました。
特に子供の頃のキハ55・キハ58系列での旅では、開放した窓から走行中に聴こえてくる、線路際が田畑であったり家並だったりする度に強弱に変化する、カランカランというアイドル音だったり、加速中の唸り音だったりの、反射音を味わうのがたまらなく好きでした。
私自身に全く覚えは無いのですが、亡母の話しによると幼少の頃の私はホームで車輛の床下をずっと眺めていたそうです。恐らくは北九州在住時代のことでしょうから、嵩の低い旅客ホームで丸見えとなる腰高のキハ17形などの気動車の床下を飽きずに眺めていたのだろうと思います。未だにDMH17型系列のエンジン音ほど素敵なディーゼルサウンドは存在しないと思う自身のスリ込みがそこにあったのかも知れません。
KTR8000形乗車体験では、さらに予期せぬ乗り心地の良さにも驚かされました。着座位置は車体中央よりやや後位寄りでしたが、山陰線そして福知山からの丹鉄線内となる宮福線・宮豊線ともに、ピッチング・ローリング・ヨーイングとも良く抑えられて感心を致しました。
車端に寄ると流石に揺れは増大しますが、それでも気になるのは上下のバウンドがやや顕著かなといった程度で、台車はヨーダンパ付きボルスタレス台車のFU51形で、キハ85系のC-DT57形の流れを汲む台車なのだそうですが、電車特急の乗り心地に遜色の無かった在りし日のキハ82系が履いていたDT31系列及びTR68系列の空気バネ台車に対して(碓氷越え対応のキハ57系はさておき)急行型気動車でようやく空気バネ台車を採用したキハ65形のDT39系列・TR219系列は、呆れる程のピッチングを伴うがっかりの台車とルーツを同じとするキハ181系のDT36系列及びTR205系列台車も、キハ65形ほどでは無いにせよ同様の傾向を示していて残念に思っておりましたので、その後の気動車の乗り心地のこれほどの進歩を知らずに過していた自身を恥ずかしく思った次第です。
さて、向かい合わせのグループ席では、袖仕切にある小テーブルを引き出しての宴会が始まる訳ですが、側窓枠(KTR8000形「丹後の海」車輛では正確には、後付けされたロールタイプのカーテンの枠)の平面部に設えられた細長い平テーブルと合わせても、スペース不足となるのは明らかで、宴も酣となるうちに、小テーブルに置いていた飲み物をこぼすなどという粗相に慌てることとなります。
袖仕切から回転させてテーブルの面を起こし、袖仕切前端の平面を支えにテーブルの面を水平に保つという、小テーブルに於ける現在主流と言えるこの機構では、テーブル面と肘掛けがほぼ同じ高さになることから(グリーン車などの大型のタイプならまだしも)腕の動線の延長上にテーブルが位置することによる粗相のリスクは高まります。
その点、R27型に代表される国鉄時代の1等(グリーン)車座席の袖仕切に設えられていた引出し式の小テーブルは、斜め上方に引き出してテーブルの面を回転させ起こすと同時にテーブルを支える脚がスプリングの作用によって下方へ降り、そこでテーブルの引出し量を再びスライドさせてやや戻すと脚が肘掛けの上に着地して安定するという機構で、今の感覚から致しますとなんとも無骨な佇まいですが、肘掛けより高い位置でテーブル面が構成されますので、肘掛け上にある腕の動線と干渉しないという秀逸な設計が見て取れます。
肘掛け上に脚が乗るので邪魔にならないかというと、前方なのでさほど気にならず、実際に使い勝手も良かったと記憶を致しますが、コストの面では現行の機構の方が圧倒的に有利ですから、何か他に良いアイデアが無いものかと、今時の小テーブルに接するうちに、つらつらと妄想に耽る宴会話し半分の悪い癖が始まり、これもまた鉄ちゃんあるある?の楽しみ方のひとつかと。
KTR8000形の「丹後の海」車輛への改造費は2輌ユニットで8,000万円程だったそうですが、全体を見渡すと、天井・床面や中妻面、側窓のあしらい、そして座席クッションや表皮などのお化粧換えが主なリニューアル所と見受けられますが、座席に見られるように構造や形状については案外と種車をそのまま活かした所が多い印象で、ハード面も含めて個人的には「どの道第三セクターの拵えた車輛なので大したことはなかろう」とたかを括っていたところのあるKTR8000形が、実はしっかりと作られていたことに今更ながらに感心を致します。
今回乗車前の関心点として、前述した既に廃止されていた肘掛けテーブルの件以外では、側窓の構造と、床面・天井や中妻面に於ける木質の表情や効果が如何なるものかといったところでしたが、気になる側窓については、実際に乗車を致しますと、リニューアル前は天地方向への視界も十分な2座席で窓1枚を共有する配列のいかにも現代的な連続窓風情で、こざっぱりとした形状の窓枠のコーナーは清掃に有利な大きなR形状だったと記憶しておりますが、リニューアルではその窓枠の奥行きを利用して、室内側に、1座席に対して1個ずつとなるように新たに四角く木枠が組まれて、水戸岡さんお得意のスダレ調のロールカーテンが内蔵されており、フリーストップ式のカーテンは使い心地も良く機能上の問題も見受けられませんでしたが、ベースの窓枠から更に室内側へ突出する木枠は特に窓側の席ですと圧迫感を伴い居心地の悪さを感じました。
構造上の理由からなのか可成り厚みのある木枠で、もう15ミリ程は削れるのではないかと思うのですが、圧迫感軽減のためと思われる各辺の窓寄りにカット面(C面)を施したり、袖仕切に近い下辺の下端中央部に抉りを入れ、更に空間を確保しようとした工夫の跡が見られるのですが、それらの造作が却って複雑な印象を助長しており、材質感も無垢材なのでしょうが、天井他に展開する木質に比べ(コスト絡みなのか)ややチープな印象で損をしています。
宮津で方転し木津へ向かう車中にて(酔客のお見苦しい顔面にボカシを入れて居ります)
それにしても水戸岡さんの、JR九州の車輛を手掛け始めた初期の頃から顕著だった「側窓は1座席に対して1つ」という哲学の徹底ぶりには、車窓を眺めることが大好物の私自身にとっても共感するところがあり、モハ20系(151系)で確立されたロ座車は1座席に対して窓1枚、ハ座車は前後の2座席で窓1枚を共有という法則に法り、後年誕生した気動車特急キハ82(80)系ハ座車に設えられた横長の窓一杯に横たわる1枚だけの巻上げ式ロールカーテンを、前後の乗客に共有させるという無茶ぶりには、いかにも格差を感じた黄色いビニールクロス貼りとなった座席背面とともに、少年時代の自身を唯一落胆させた仕様でした。
キハ58・28形の平面ガラスの使用を余儀なくされた正面窓、キロ28形の蛍光管剥き出しの室内灯、横引きカーテンクロスが許されないばかりか座席のモケット張りまでケチったキハ82(80)系ハ座車と、勿論軽量化のためとはいえ、採算性の劣る非電化区間での営業が前提となる気動車の悲しい生い立ちに思いを馳せると、九州の片隅で理不尽さを抱いていた少年時代が思い出されます。
残る検証点の床面・天井・中妻面に於ける木質仕上げについては、興味深い体感を致しました。
床面はナラ材による贅沢なフローリング仕上げで、デッキに付着していたシミに見られた耐久性への不安は残りますが、確かに居心地良く吸音材としても機能するはずですので、やはり良いものだなと素直に感じます。
天井部は、荷物棚に仕込まれていた座席照明が無くなり、スリット状の空調吹出し口の脇に新たに円筒形のダウンライトが追加されたくらいで、天井に作り付けられた箱状の行き先表示板や荷物棚と共に、主たる室内灯として種車に元からあった間接照明の構造も灯具を電球色に変更しただけで元の形状そのものが引き継がれてるのですが、それらは水戸岡さんお得意のツキ板仕上げによって木質感で埋め尽くされていて、中妻の面も含めたツキ板仕上げの表面には、これも水戸岡さんのアイデンティティとも言えるドット柄のプリントが鏤められていて、そのかわいらしさを煩わしさと取るかは意見の分かれ目となりそうで、自身としては好みではありませんが、子供達の興味を惹くあしらいであることは確かだと頷けます。
ツキ板の素材には白樺材が使用され、0.2ミリ厚に加工した白樺材を構造体に接着して仕上げる工法ですが、乗車中終始気になり続けていたことが実はあって、それは走行音が随分とまろやかに聴こえるという点でした。
そのまろやかさは、天井面が有孔パネル仕上げだった時代の20系客車・キハ82(80)系・481系・オロネ10形などの音質に共通していて、遮音性能とは別の次元の話しとなりますが、有孔パネル仕様をやめて以降の鋼製車体であったり、先端を行くダブルスキン構造のアルミ車体の室内音にも言えると思うのですが、金属的な残響音とでも申しましょうか、そういった高音域の成分が明らかに増した印象を常々抱いておりまして、「丹後の海」車輛ではそのような耳障りな高域成分が随分と少ないように感じました。
当日は丹後地方に入ると残雪は残っていたましたが、線路上に雪は無くほぼ通常の状態だったといえるので、雪の影響は考えにくく、また木質の車内で思い浮かぶのが、会社勤務時代の東京出張の折りに、支給された新幹線代に自腹を上乗せして好んで利用していた「285系サンライズ瀬戸・出雲」ですが、木質とはいえミサワホームが開発した樹脂に木屑を混ぜ込んでパーツを成形するという例のMウッドですので、所詮樹脂であることに変わりないためか、車内の音質はカンカンと響く金属音の成分が耳障りでした。
僅か0.2ミリ厚とはいえ、もしかすると、天井の大部分や中妻面と車内の多くが木に覆われていることによる好ましい効果なのかも知れないという推論に行き着いた次第です。
水戸岡テイスト満載の2号車フリースペース(KTR8005)
復路は「きのさき」に乗車するため、夕日が浦木津温泉駅から再び「丹鉄」に乗車して豊岡に向いましたが、夕日が浦木津温泉駅には元からある駅舎の横に(水戸岡デザインの匂いがする)真新しい木造の公衆トイレが出来ていて、覗いてみると、手洗い場の一角に石庭が設えられていたりと、第三セクターの「北近畿タンゴ鉄道」から、バス屋さんを事業主に迎えて「京都丹後鉄道」へと、流行の上下分離方式に移行した効果は、レストラン列車の「丹後くろまつ」号や特別感の味わえる「丹後あかまつ・あおまつ」の運行に始まり、この度乗車した「丹後の海」車輛の導入と、活性化が目に見えて今後が楽しみなところです。
豊岡へ向う折りに乗車したKTR700形の車内も、予想に反して1輌単行で運行されていた背もありますが、結構な乗車率でやって来て、途中駅での乗車も多く立ち席が出る程の混雑となり、KTR8000形と同じく懐かしの富士重工製の所謂軽快気動車(といっても20メートル級と立派なボディー)の新潟鉄工所製の330馬力ディーゼル機関にとっては少々重荷だったようで、制限65Km/hの区間での力行でもなかなか制限域に達しない走りが微笑ましく印象に残りました。
それにしても、ちょっと驚いたのは乗客の年齢層で、東・東南アジアからと見て取れるインバウンドの旅行客は別として、当然に多いだろうと思っていたシニア層よりも、学生か社会人と思しきこざっぱりとした若者のグループ客の方が目立っていた点で、ファミリー層が少ない点は頷けますが、自身が若い頃は北近畿への足といえば大抵クルマでしたから、若者のクルマ離れの実態を垣間みた思いが致します。
今や地方鉄道路線の廃止が地域の衰退に直結する現実をようやく社会通念として捉えられ始めたように思えますが、「丹鉄」もまた一時のブームに終わらずに発展の継続を願わずには居られません。
豊岡駅に到着すると「丹鉄」ホームからJRへと移動し待望の287系「きのさき12号」へ乗車します。冒頭で申し上げた通り、長編成で長距離を駆け抜けていた特急電車の時代は遠い昔となり、幹線と地方を結ぶ現代の特急電車のあり様は如何に?と興味が湧いて参ります。
豊岡駅では冬仕立てのDE15形に遭遇
今も昔も、特急電車といえば、ハード・ソフトの両面で一定のレベルが求められる車輛であることに変わりありませんが、(晩年は別として)国鉄時代のある一定期間に於いては、車輛性能・快適性などのハード面と、格調の高い設え・食堂車の連結などといったソフト両面で、急行列車と明確に差別化した一定の水準に従って分かり易い形で整備されていましたが、いよいよの財政悪化に拍車がかかると、当時、収益確保の一施策としか捉え様の無かった特急電車の乱発が始まり、昔は準急しか停まらなかった駅にまで停車する特急が現れるなど、所要時間に大差無く日常の足として重宝されていた急行電車から特急電車への置換えが顕著となるにつれ、特急車輛に相応しい真の機能とは一体何ぞや?と、お気楽な趣味的範疇ながら自身の混沌を深めて行った時代でした。
行き着く果てに迎えてしまった分割・民営化から既に30年が経過する今日、JR西日本さんの提供する特急電車287系の、特急車輛としての値打ち・物差しが何であるかを、当日は探ってみることに致しました。
11輌・12輌といった長編成も、食堂車はおろか供食コーナーや果ては車販準備室の必要すら無くなりつつあり、グリーン車と普通車というシンプルな構成と、編成単位の身軽さと波動対応が求められる現代の特急車輛だけに、287系も「きのさき」「こうのとり」用途に基本4輌編成と付属3輌編成を 、「くろしお」用途は基本6輌編成と付属3輌編成が建造されて、それぞれユニット編成化されており、乗車当日の編成は通常の福知山所属の基本4輌FA編成に付属3輌FC編成の増結組成で、FC編成の豊岡寄りに位置する5号車のクモハ286形に乗車致しました。
折角にたっぷりと乗車の機会を得たというのに実は見逃した確認事項があって、例えば最後尾のクモロハ探検であるとか、クハネ581形を祖とする貫通扉構造のチェックも怠ってしまうという失態を猛省する次第ですが、将来の路線容量の逼迫や晩年に訪れるであろう短編成用途を見越して特急電車として初めて先頭車に前面貫通扉機構を備えた581・583系が、その折角の機能を十分に発揮させる運用に至らなかったのに対して、貫通扉機構が日常的に活用されている287系の姿を見ると、当事者でも無いのに嬉しさがこみ上げて参ります。
新快速電車などで基本・付属の組成で通り抜けが出来なくなると、やはりなんとなくの不安を感じてしまいますし、保安上・営業上の事由以上に、柔軟な組成を繰り返す今時の特急電車の先頭車は通り抜け可であって欲しく思います。
JR西の近年の特急車輛に山陰地方に投入されたキハ187系特急気動車がありますが、増備の際の沿線自治体からの資金援助などといった相変わらずに気動車を取り巻く環境は厳しいとはいえ、外観や内装のあまりのそっけなさは287系と見比べるてしまうと更に際立ち、過去の図式が思い出されて悲しくなります。
キハ187系の悲し過ぎる外観に比べると287系は良い線を行っており、デザインを手掛けたのは何処なのか?何かで読んだ気がするも失念のうえ勉強不足で把握しておりませんが、川車・近車のインハウスなのか、テイストから致しますとTDOさん監修の匂いも致します。
なんでも標準化されていた国鉄時代最盛期の特急車輛は、一見して特急車輛と見て取れる要素が明確でしたが、地域に応じた個性が営業上も強く求められる標準化の難しい今の時代に於いての特急車輛の出立ちには、少なくとも地域沿線の人々に親しまれたり誇りに感じてもらえたりするような、シンボル的な存在に足り得るある程度の風格や品位といったような、何らかの要素が必要なのだろうなと、287系の外観を眺めているとそんな思いに至ります。
車体は先端を行くアルミダブルスキン構造、この穏やかな先頭形状でオフセット衝突対応の衝撃吸収構造なのだそうですから、技術陣の巧みな工夫が想像され、裾絞りが際立ち振子電車を想起する断面形状ながら振子機構には頼らずに(やはり外観からはそれと伺えない)低重心化によって、曲線通過速度本則+15Km/h・最高速度130km/hと今時の性能が確保されておりご立派です。
ご周知の通りに、287系では全車をM車とした上で、270kW定格出力のかご形三相誘導電動機を2基搭載するお馴染みの機構の電動台車は、全車ともに片側の台車のみに装備され、1C2M(1基のインバータで電動機2基を受持つ)構成のVVVFインバータで制御するという、1つの車体に電動台車と付随台車が同居する目新しいシステムで、電車といえば電動台車を履く電動車と、履かない付随車での組成が常識と疑わない頭の堅いシニアファンは面喰らうばかりです。
機関車が客車なり貨車を牽引して走る動力集中方式に対して、動力分散方式である所謂「電車」は、イニシャルコスト以外にメンテナンスにもお金がかかりますので、堅い岩盤と余裕の列車密度の欧州に於いて相変わらず動力集中方式が主流なのは、メンテナンスコストをかけてまで電車にする必要無しとするためなのでしょうが(それにしても機関車の対面となる客車端に運転室を設けて、思いっきり高速でプッシュプル運行する姿は恐ろしいです)、「電車」のメンテナンスコストは機関車牽引列車に比較して約3倍と言われる中、既に動力分散方式の優位性が確立されてしまった国内では、必要経費とあまり顧みられることは無かったように思うのですが、この287系ではオールM車として、どの車輛にも出来るだけ同じ機器を搭載し共通化を図ることで、イニシャルコストばかりかメンテナスコスト削減の狙いが見て取れ、こうした思想は遥か昔のモハ90系(101系)の時代にも垣間みることが出来るかと思うのですが、大量生産の要求が減少した現代の特急車輛に活路を見出した点は大変興味深く、資料から推察する1輌当りの製造コストも1億6千万円あたりにまで抑えられているようで驚きます。
287系もユニットの中間は半永久連結器で繋がれていて0.5Mシステムの全電動車と来れば、乗車当日に感動した極めて滑らかな起動・スムースな加減速の走りにも合点が行きます。
決して好条件とは言えない山陰線を走行しながらヨーもロールもピッチングも期待以上に抑えられていて( 揺れに対して最も条件の良いほぼ車体中央の座席ではありましたが)一時停滞を感じていた快適性能の前進を実感し嬉しくなりました。
それにしても台車も然り、基本ベースは日頃「新快速」でお世話になる225系なはずなのに、当たり前といえば当たり前の十分な遮音性の確保とともに225系とは明らかに異なる上質な乗り心地であることに誠に感心させられました。
趣味的には、ざわつく225系の車内より特急列車の落ち着いた車内の方が(勿論相対的には小さい)モーターの囁きが聴こえる方向が際立つので、これも287系乗車体験の醍醐味かと思います。
因に287系では各車とも前位が電動台車となりますので、乗車したクモハ286形では(クモロハと共に)運転台の無い方の妻面が前位ですので、京都に向かって走るとモーター音は前方から聴こえて参ります。
車内に乗り込むと例により4人向かい合わせに座席を転換し、ダメ押しの宴会が始まりますが、シートピッチは970ミリとKTR8000形より短い標準的なピッチですが、意外と足元に窮屈さを感じる程ではありませんでした。
更に、グレードの底上げを実感する大ぶりの座席も居心地良く、普通車がここまで心地良くなると、グリーン車のグレードが現状で良いのかといった点が気になりだし、いよいよのパーソナル空間の実現をつい期待する勝手な妄想が、車窓を流れる冬景色とともに先走り始めます。
内装はビス隠しも万全な現代的なパネル構成、天井はシボ目のオフホワイトの色調で空調吹出し口のスリットが長手方向一杯の左右に2本配置され、室内灯は幕板から折り返されたカンチレバーに仕込まれる間接照明方式で、柔らかな灯に寛げます。欲を言えば、空調リターンや拡声器の無粋なグリルをカンチレバーの裏に隠せていたら、尚スッキリと落ち着いたに違いありませんが、技術的に許されなかった事かと拝察致します。
デッキやトイレ・洗面所付近の通路部分の壁面のみが木目調の化粧パネルなのですが、押縁の色調や光沢度合いの選択など、丁寧にコーディネイトされた印象がして趣味の良さを感じました。汚れの目立たない色調の床敷きも好感の持てる柄で悪くありません。
客室側窓のコーナーR処理といい、床面から腰板に立ち上がる巾木の部分に大きなコーナーRを設けるなどといった清掃性への配慮も万全で、こういった基本を抑えてこそのプロダクトデザインと改めて思うのですが、好感の持てる室内空間ならではの居心地の良さに安心致します。
287系もそうですが、近年の(新幹線電車も含む)新製特急車輌の、固定窓の客室側窓に共通する傾向として、窓開口の下端と座席の着座面との距離が近いことが挙げられるかと思います。
この位置関係は車窓に向う乗客の目線に関係すると言え、座面と窓下端との距離が遠くなるほど、直近の地面など近景が遮られますから、乗客の目線も自然と遠方に注がれることとなり、昭和30年代という(航空機は兎も角も)日常で鉄道以外に時速100キロ以上を体験する機会に乏しかった時代の設計を礎とする国鉄型特急電車に共通する高めの側窓下端位置には、乗客に徒な不安感を与えない配慮が見て取れると常々思うところでありますが、その後も長らく受け継がれる間にマイカーや高速道路が普及したことによるスピードに慣れ切った現代に至ると、その設計の意義は失われてしまい、皮肉なことに車窓を眺めるにはやや首を擡げる姿勢を強要されるというデメリットが際立つ末路を迎えてしまいました。
長らく守られていたこの思想からの決別を最初に体感したのは出張の折りに乗車した新幹線電車の300系からで、側窓自体の長さや天地の寸法にかかわらず、開口の下端が肘掛けに近くなるだけで自然と手元も明るくなり居心地の良さに繋がることを実感致しました。
改めて側窓開口部下端の座面との距離関係を振り返ると、デビューが300系と相前後するJR東海のキハ85系特急気動車がその近さでは筆頭に挙げられるかと思いますが、グリーン車では私達世代が驚愕したクロ151形側窓の天地をも凌駕する文字通りのワイドビューな側窓の下端はというと、肘掛けの天面とほぼ重なる位置ですので、TDO木村さんの代表作でもあるこの気動車にも俄然乗ってみたくなってしまいました。
ところで水戸岡さんの手掛けられた新製車輛の中では、883系・885系の客室側窓下端位置が、それらの前に手掛けられた787系から一転して、時代に逆行するように可成り高いポジションに設定されており、構造上か何かの理由があるのかも知れませんが、やはり1度は乗って置かなければと、287系の今時の車内を堪能したことで想いを強くした次第です。
船旅もそうですが鉄道の旅は、他の乗り物に比べ車内を動き回れる自由度が高いとは良く言われる話ですが、食堂も無ければ売店も無くなった現代の特急車輛では、KTR8000形の京都寄りのフリースペースも気分を変えられて良いとは思いますが、結局のところ、座席で如何に快適に寛げるかという面に於いての、高速バスやマイカーなどといった他の乗り物に対してアドバンテージを高め、磨きをかけることが肝要なのかなという結論に至ります。
しかしながら、このことは集客を維持するための最低条件とも思えますし、複合的な要素はさておいて、特急列車が今後も見捨てられることなく、公共交通機関としての使命を果たしつつ発展するには地域の個性に柔軟に対応出来るような何かの仕掛けが、あとひとつくらいは備わっていて欲しい気が致します。
京都駅に到着した287系「きのさき」
今回の旅で、京都から出発した往路に比較して豊岡から乗車した復路では、たまたまだったのかも知れませんが豊岡駅での乗換の動線上に売店が見当たらず、選択肢も豊富で自由度の高い都市のターミナル駅とは異なる地に佇めば、車内販売の必要性にハタと気付かされます。現在縮小傾向にある車販サービスですが、かつての売上不振というよりは過酷な労働環境が災いし(世相が豊かになるにつれ)慢性的な人手不足に陥った食堂車営業の例が思い出され、食堂車の廃止が加速されることになるご周知のあの不幸な事故を忘れる訳には参りませんが、車販も巡回サービスは廃止するとしても、長大編成で無くなった現代の特急列車なのですから、ちょっとした飲食やノベルティーなどを提供する売店コーナーくらいは、編成に1箇所で良いので設定してくれたら豊かな旅になるのになと、汽車旅の楽しい思い出に取り憑かれたオールドファンと致しましては、ついそんな思いに至ります。
(2017.03.20wrote)
|
|
PageTopへ |
|
|
|
第40話【年の瀬に】
年々1年が早い・ひと月が早い・1週間が早い・1日が早いと…今年早々に還暦を迎えたせいなのか特に2017年は時の流れが強烈に早く感じる年でした。
気付けばコラムの更新も3月以来と随分と間が空いてしまいました。そればかりか変化の激しい今日のブラウザ環境の影響なのか時に生じてしまうレイアウトの乱れという本コラム欄の課題も、いつかは対策しなければと気にかけつつ遂に出来ず終いで年末を迎えてしまいました。
今年はお客様お手持ちの車輛に応じたインテリアパネルの制作や表皮シリーズ組込みなどの特注のご依頼も増えて参りましたが、常に主軸として開発を続けていたのにもかかわらず未だ発売に至らない新製品の遅れが何より申し訳ない次第で、起業当初を思うと通常業務も含め可成り効率も向上致しましたが、以前に業界の方からご教示を頂いた「プロとアマの違いはスピードの差」という文言を改めて噛み締めております。
開発中の新製品「インテリアパネルキット オシ16」では、弊社オリジナルの窓ガラスパーツとしても機能する透明アクリル素材構成の側パネルや透明ポリカ素材を芯材に用いた中妻パネル・仕切等の基本構成に加えて、見せ場となる車体中央の料理室(通称チャイナタウン)が窓から見通せることなどから、アクリル素材をレーザーで加工した薄板の部材を組上げて描画印刷シートなり塗装なりで適宜外観を整えたパーツを制作し、チャイナタウンのダウンライトやカウンタ廻り・流し・戸棚・コンロ台・冷蔵庫・電子レンジ・冷水器・飲料ストッカー・アイスクリームストッカーなどを再現し、②−④位側窓に向くカウンタ席との仕切には試作時には無かったスモークグレーのパーテーションを追加しております
。
カウンタに並ぶ回転椅子は、レーザーカットした厚紙を曲げ加工した座席部とアルミ製の脚を組み合わせ再現し、①ー③位側の食堂部分のテーブルと跳ね上げ式座部が特徴的な食堂椅子も部分塗装を施したレーザー加工のアクリル材にて新規に作成致しました。食堂椅子は当初実車に備わるフレーム構成の脚部分までを再現し座部は回転式とする設計でしたが、種々の障害により断念せざるを得ず座部は畳んだ状態での固定式となります。
以前の「インテリアパネルキット オシ17」製品では、実車内装の変遷に対応し4タイプの製品をラインナップ致しましたが、時代が下り製造されたオシ16形に於いてもオシ17形ほどではありませんが(内装に限れば)④位物置の更新や①ー③位側業務扉の取付方向の反転など一部に変遷が見て取れますが、今回は製品タイプは設けずに選択式パーツの同梱で対応致します。
今月の半ばにようやく製品として使えるレーザー加工品が出揃い、只今膨大な部材の組立に追われているところですが、手間は「オシ17」の比では無く来月なのか2月・3月になるのかまだ先が見えません。レーザー加工パーツの増大で材料費や加工費などが嵩みコスト的にも大変厳しい状況ですが、価格は「オシ17」並とする予定です。
「オシ16」製品以外に予定する製品がまだ数多く、いち早く実現にこぎつけたいと焦るばかりですが、一方でこのコラムでも纏めて置きたいネタが山積したままで、まるで達成感の無い年の瀬となってしまいました。
お客様にとっては1製品である以上量産では相当な集中力を伴い疲労困憊致しますが、神経を使う作業の最中にふと思い出すのは不思議に鉄道に俟つわる光景であることが多く、先日も昔は駅弁の掛け紙に必ず「食べ終わったら紐で縛り座席の下へ置いて下さい」といったような注意書きが書かれていたことをふと思い出した次第で、あーそうそう!と共感される鉄の皆様も大勢いらっしゃると思いますが、乗客が駅弁(というよりは汽車弁当と称した方が相応しい?)を食べ終わると、一様に座席の下へ仕舞う所作が車内のあちらこちらで展開し、今にして思えばなんとも不衛生な、しかし実に懐かしい時代の一コマでした。
座席の下に捨て置かれた空箱やお茶の容器は、ほうきとちりとりを持った清掃係のおじさんが時折現れては足元を掃いて廻り回収されますが、ホームに設えられていた立派な洗面台で顔を洗う旅人の姿も然り、そんな鉄道に俟つわる懐かしい風俗の多くをよくよく振り返ると、昭和40年代の半ば当りから徐々に姿を消して行ったような気が致します。自身の模型作りに於いてモノクラス制標記より2等級制標記を好む理由も案外その辺りにあるのかも知れません。
本年のご愛顧に厚く御礼申し上げます。来年も何卒よろしくお願い申し上げます。
時節柄ご自愛下さいましてどうぞよいお年をお迎え下さい。
(2017.12.31wrote) |
|
PageTopへ |
|
|
※第41話〜へ |
|
|