INDEX:

※第1話〜第10話へ戻る

※第11話〜第20話へ戻る
※第21話〜第30話へ戻る
※第31話〜第40話へ戻る
※第41話〜第50話へ戻る
※第51話〜第60話へ戻る
※第61話〜第70話へ戻る
※第71話〜第80話へ戻る


第81話【模型ライフ・鉄道の日に寄せて】

   
 

第81話【模型ライフ・鉄道の日に寄せて】

昨日は今年半年間に渡って開催された「大阪・関西万博」の最終日でした。70年万博には、当時中学2年生で九州在住だった境遇ながらも3度訪れましたが、残念ながら今回の万博には体調不良と相変わらずの忙しさのため機会を逸し、遂に足を運ぶことは叶いませんでした。

70年万博を体験した身としては、情報にまみれる日常が当たり前・あらゆるエンターテインメントが溢れ返る今日で、果たして万博は成り立つのかと懐疑的でしたが、どうやら大事な効能を忘れていたようで、残念ながらその場で体験することは出来ませんでしたが、それでも日々発信された万博の様子を目にする度に、異なる文化に触れる・理解する人的交流こそに開催することの意義深さを感じた次第です。

そういえば70年万博では、小学生達が会場で初めて目にした外国人(一般人来訪者)にサインを求める珍事が起こり、神戸に縁のあった自身は子供の頃から例えば北野(今と違って静かな住宅街でした)では、金髪の女の子がコリー犬を散歩させる姿が日常だったり、元町では寄港した外国船の船員さんたちの買い物姿などを目にしていたので、外国人は当たり前だったので驚きましたが、裏を返せば1970年はまだそんなドメステックな時代だったことに気付かされます。

70年万博では、見た事も無いアフリカ諸国の民芸品などの印象が今でも残っていて、閉幕後は一部が吹田にある「国立民俗学博物館」に移設されたので、その後も時々見に行ってましたが、 今回の万博も、ビザも取得出来ないような国からの出展もあって、今の子供達がその国の人々と交流した体験がその先の未来に、どう影響を与えるのかがとても楽しみです。
考えてみると、普段から人との距離が近い・近すぎると揶揄もされてしまう関西の風土は、案外万博開催に向いているのかも知れません。

それはさておき、本日は「鉄道の日」ということで、鉄ちゃんにとっても普くめでたい日であります。

以前も申し上げましたが、自身は昨今の「○○鉄」という表現には、巨大なシステムで奥が深い鉄道を愛でる愛好家は、眺めるのも乗るのも写真を撮るのも音を撮るのも全てを経験した自身もそうであるように、本来なんでも好きなはずなのに、何故ジャンルを限定するのだろう?と、それはそれとして、発信者自らも受けて側も「○○鉄」と名乗る一方で、時として極稀にですが、他を否定するようなニュアンスが感じられることもありますので尚更に、(あの番組も、六角精児も好きですが)「呑み鉄」てなんやねん、そら呑むやろ、「駅弁鉄」て、それはもう鉄でなくてもよかろうと、やたらと「○○鉄」を耳にするようになって久しい今でも、相変わらずに違和感は拭えません。

そんな独り善がりは兎も角として、単に得意ジャンルを示す便利なフレーズであると、極力受け流して平静を装うことに努めておりますが、自身の記憶には無い幼少期にひとりでフラフラと家を出て、西鉄北九州線が行き交う交差点前の百貨店の玄関先にへたりこんで、電車を眺めた事実の通り(まさかの移動距離だったらしく親は相当慌てたようです)、生まれながらの鉄道好きの自身も、世間で言うところの「模型鉄」になるのでしょうが、長年モデルワークを続けておりますと、車輌であれば何故そのカタチなのか・サイズなのか・色なのか・設えなのか?、実車は何処を走るのか?どんな運用なのか?線路状況は?信号システムは?などなどと、制作の過程でいつも、突き詰める必要のある事柄が、好むと好まざるとに係らず、無限と言えるほどに表面化する現実に気付かされます。

本腰を入れればの話しではありますが、結局、大変広範囲に渡る鉄道に係るお勉強・おさらいを都度強いられるという、これが鉄道模型趣味の最大の特徴と言えるのではなかろうかと日々感じているところであります。

只今次期製品となるKATOさんのキハ82系向け製品を開発中ですが、色々と見直して、シールパーツオンリーであったこれまでの表皮シリーズから少し離れ、シールパーツとパネルパーツを組み合わせた製品を予定しております。年内にリリース出来ればと考えておりましたが、このペースで行くと来春あたりになりそうです。


神戸市街地を山側で東西に貫く「山手幹線」と、古くから有馬への物流を支えた南北に走る「ありまみち」が交わる近所の交差点の道端にご当地らしい赤御影石で拵えられた道標(みちしるべ)がひっそりと佇んでいます。

北へ向えば「白鶴美術館」、南へ下れば「国鉄・住吉駅」
えっ!国鉄?
その前はきっと「省線・住吉駅」だったんでしょうね。

ひび割れは震災の痕跡なのかもですが、高価な赤御影石の故なのか、今もこのままの姿で佇んでいて、自身のお気に入りのスポットでもあります。

撤去されませんように!
(2025.10.14 wrote)

 
PageTopへ